米兵を手玉に取って‥「中川英子さん」になりすました中国人スパイの驚くべき手口

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 日本の公安警察は、アメリカのCIA(中央情報局)やFBI(連邦捜査局)のように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を十数年勤め、昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、日本人女性になりすました中国人スパイについて聞いた。

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 今回紹介するのは、神奈川県警の外事課が検挙した中国スパイ事件である。

「この事件で、中国人工作員の驚くべき実態が初めて明らかになりました」

 と語るのは、勝丸氏。

「1953(昭和28)年、当時横須賀港には米極東海軍司令部がおかれ、第七艦隊の母港となっていました。横須賀市内で、中川英子という女性が米兵相手の『ロッキー』というバーでホステスをやっていました。彼女の正体は、中国が日本に送り込んだスパイ、本名は劉香英(りゅうこうえい)でした」

多くの米兵と関係を

 53年といえば、東西冷戦が始まった頃で、日本海にはソ連や中国の潜水艦が行き交い、第七艦隊はそれらを監視していた。中国は東側陣営として第七艦隊の動静や1954年1月に進水する世界初の原子力潜水艦の情報を欲しがっていた。彼女に課せられた任務は、米兵からそれらの情報を入手することだった。

「ロッキーで働き始めた劉は、たちまち米兵たちの人気者になりました。というのは、当時のホステスは、流れ流れて横須賀に来たはすっぱな女性ばかりでした。それに比べて若くてすれていない劉のような女性は珍しかったからです」

 彼女は完璧な日本語を使い、米兵には流暢な英語で話しかけた。

「他のホステスは米兵を店に引き入れると体を押し付けて媚態を示しますが、劉は『長い間航海して疲れたでしょう』と米兵の耳元で囁いて、労ったといいます」

 劉は、多くの米兵と肉体関係を持った。

「中でも、極東海軍通信隊のバーロー兵曹や米軍人相手に商売をしていた保険会社のヘンダーソンと親密になっています」

 劉は、バーローを自分のアパートに泊めることが多かったという。

「バーローから第七艦隊の全体の動きや進水したばかりの原子力潜水艦『ノーチラス号』の構造、装備などを寝物語で聞き出し、艦船の出入港予定表も入手したそうです」

 さらにヘンダーソンからは米軍艦船の修理予定表を入手した。

「ヘンダーソンは横須賀基地に勤務する米軍人や第七艦隊の乗務員を上得意にしていました。その関係で基地内の艦船修理部にはフリーパスで入ることが出来ました」

とはいえ、ヘンダーソンは保険会社の人間にすぎない。基地に入れたからといって簡単に修理予定表など入手できるはずはないが……。

「ある時、ヘンダーソンは劉を旅行に誘ったそうです。すると彼女は『港に軍艦が入ると店に米兵が大勢やってくるので、行けません』と拒否するのです。それでヘンダーソンは、軍艦の入港スケジュール表があれば旅行の日程が立てられると思い、基地に入って艦船の修理予定表を盗写して劉に渡したのです。よほど劉のことを気に入っていたんでしょうね」

 艦船修理予定表には、各艦の行動予定海域、修理予定の艦名、修理箇所が書かれてあったという。中国にとってはノドから手が出るほど欲しい情報だった。

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