米兵を手玉に取って‥「中川英子さん」になりすました中国人スパイの驚くべき手口

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黙して語らず

 ところが、ひょんなことから劉の諜報活動が発覚してしまう。

「劉は、入手した情報を日本に帰化した中国人が営む米兵相手の洗濯屋に届けていました。洗濯屋も中国のスパイでした。横須賀港に艦船が入港すると、横須賀市内に21店あった洗濯屋は臨時人を雇うほど忙しくなるのですが、劉が情報を届けた洗濯屋だけは、劉の情報で艦船が入港する日がわかっているので、事前に臨時人を雇っていたのです」

 アメリカ海軍情報部(ONI)がこれを不審に思い、その洗濯屋を調査し始めた。

「ONIは劉と洗濯屋の関係を突き止め、さらにバーローが機密文書である40枚にも及ぶ出入港予定表を、ヘンダーソンは艦船修理部の極秘文書を盗写して劉に渡していたことが発覚しました」

 ONIは神奈川県警外事課に通報した。1955(昭和30)年7月、刑事特別法(米軍の安全を害するために米軍の機密情報を盗んだ場合、10年以下の懲役に処することができる)によって、劉らは一斉に逮捕された。

 神奈川県警の捜査によって、劉は中国浙江省で生まれの中国人で、元々女優志望だったことが判明した。

 劉は懲役2年執行猶予3年で、国外退去。洗濯屋は懲役8カ月執行猶予2年。さらに軍事裁判でバーローは重労働2年で階級剥奪、ヘンダーソンは重労働2年を言い渡された。

「彼女は、女優を目指して上海芸術大学の試験をうけるのですが、試験官から特別工作員に向いていると説得され、北京にあるスパイ訓練所に入ったそうです。そこで日本語や英語はもちろんのこと、日本人の習性、護身術、変装術、拳銃の撃ち方、暗号組み立て法などを学びました」

 劉が名乗った中川英子は実在の人物だった。

「英子さんは満州在住の日本人の娘で、1952年に病死していました。中国当局は英子さんのことを調べ上げ、彼女に関するすべての情報を劉に叩き込んだ。そして絶対中国人とバレないような厳しい訓練を行ったそうです」

 日本ではまずあり得ない話だ。

「劉は、自分の肉体を任務のために捧げることを命じられていました。逮捕後の取り調べで、中国の諜報機関から訓練を受けたか彼女に聞いてみたものの、一切語らなかったといいます」

勝丸円覚
1990年代半ばに警視庁に入庁。2000年代初めに公安に配属されてから公安・外事畑を歩む。数年間外国の日本大使館にも勤務した経験を持ち数年前に退職。現在はセキュリティコンサルタントとして国内外で活躍中。「元公安警察 勝丸事務所のHP」https://katsumaru-office.tokyo/

デイリー新潮編集部

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