45歳男性は「同じ女性と3回結婚」 自らの浮気で訪れた3度目の離婚危機の結末

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 離婚したものの、さまざまな事情でやはり別れた元配偶者と一緒に人生を歩んでいきたいと復縁、再婚するケースは少なくない。だがそれが3回目となると「学習能力がないのでは?」と言われることもあるだろう。ただ、「好きだからこそ離婚という手段で相手を自由にしたかった」という人もいるし、「別れてみるとよさに気づく」という人もいる。【亀山早苗/フリーライター】

「結婚しているときはたかが紙切れ1枚と思うんですが、離婚してひとりになるとあの紙切れ1枚に重みがあったんだなあと感じる。僕も妻も、それぞれに身勝手だと思っています」

 身勝手と言いながら妙に爽やかな笑顔を見せるのは、宮崎裕弥さん(45歳・仮名=以下同)だ。5年前、志津子さん(45歳)と3度目の結婚をした。ふたりは若いころから「くっついたり離れたり」を繰り返してきたのだという。

「高校時代の同級生なんですよ。2年のときに告白してつきあい始めました。とはいえ高校時代は映画に行ったり、喫茶店でしゃべったりする程度。キスさえしませんでした。進学校だったので、3年になってからはよく一緒に図書館で勉強してましたね」

 ふたりとも無事に、それぞれの志望大学に合格し、そこから本格的につきあうようになっていった。些細なケンカから周囲に「別れた」と言ってはまたくっついたり、志津子さんが「他に好きな人ができた」と言い出しては別れたり。そんなことの繰り返しだったのだが、大学を卒業して就職すると、裕弥さんが関西に3ヶ月ほど研修に行くことになった。

「遠距離恋愛なんてできるかなと不安になって、結婚しようと志津子に言ったんです。すると彼女は『私たちが本気かどうか試すいい機会よ。遠距離恋愛、してみようよ』と。彼女はいつでもチャレンジャーなんですよ(笑)。3ヶ月の間、1度も会わなかったけど電話ではよく話しました。当時、携帯電話が一気に広まったころで、ふたりとも持っていたのでメールのやりとりもしましたね」

 研修が終わって戻ってきたとき、やはり志津子さんと結婚したいと彼は強く思っていた。だがまだ社会人1年生。志津子さんも「結婚するって言いづらい」と言いだした。ようやく結婚したのは25歳のとき。

「でも人生って予定通りにはいきませんね。子どもはまだいいと思っていたのに結婚してすぐできてしまった。彼女は腹をくくって『少しだけ休んですぐ働くから、あなたもそのつもりでいてよ』と。女は強いなあと思いました。僕は、子どもができたら自由がなくなるとうろたえていたんです、正直言うと」

 翌年、無事に長女が産まれ、志津子さんは宣言通り3ヶ月後には職場に復帰した。裕弥さんも仕事と家庭を両立しようとがんばったのだが、なぜか心身に力が入らない。当時、仕事も新人から中堅社員として周囲の期待や激励があり、気負いが大きかったのかもしれない。

「うつ状態になりまして、とうとう休職。家にいるのに家事もできず、子どもの保育園の送り迎えくらいしかできない。大学生だった志津子の妹がよく手伝ってくれました。あるとき、愚痴を言っていたら義妹が慰めてくれた。それに乗じて彼女に関係を迫ってしまったんです。性欲がわいたわけではなかった。ただ、味方がほしかったんだと思う。最後は義妹にはねつけられましたが、それが志津子の耳に入り、彼女は淡々と離婚を切り出しました。どんなに『今の状態の僕を見捨てないでほしい』と言っても聞く耳を持たなかった。『どんなに精神的につらくても、していいことと悪いことがある』と彼女は言いました。そんなことはわかっている。僕は感情が乱れて、思わず妻の頬を平手で打ってしまったんです」

 当時の自分はどうかしていたんだと裕弥さんは言う。言葉で返すことができず、自分がひとり捨てられると思ってパニックになったのだ、と。「どうかしている」自分を志津子さんがかまってくれない苛立ちもあった。

「彼女は強いから、弱っている人間に寄り添おうとしてくれなかった」

 彼は拗ねたように言った。もちろん、自分が甘えていたことがわかった上での発言だ。

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