【袴田事件と世界一の姉】捜査記録に残る巖さんの人物評とフェイクニュースの罪

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裁判官の屁理屈引き出す「専門の土俵」

 裁判で一方の側が必要以上の科学論争の土俵に引き込み、常識を無視する「屁理屈判決」を引き出す例がある。広島地裁は昨年11月4日、住民が運転差し止めを求めた愛媛県の伊方原発3号機について「M(マグニチュード)9の南海トラフ地震が原発直下で起きても原発の敷地は安全」という四国電力の地震動算定を認め、差し止めの訴えを却下した。

 福井地裁の元裁判長、樋口英明氏はこう評する。

――広島地裁は伊方原発の岩盤での181ガル(筆者註:地震動の強さを示す単位)と福島第一原発の岩盤での675ガルとを比較して「一概に181ガルを不合理だとはいえない」とし、「住民側がその修正補正をしていないから具体的危険性の立証がない」とした。「そもそも最大地震動は予知予測できない」とした住民側に対して、地裁は「立証責任は住民にある」と無理難題を押しつけたが、M9という超巨大地震が原発の真下で起きても敷地だけは大丈夫というなら立証すべきは電力会社のほうです。――

 M9に及んだ東日本大地震で福島第一原発の地震動が675ガルなのに同じM9で伊方原発が181ガル以下のはずはないというのが常識だが「屁理屈」で常識を封じ込めて四国電力に勝たせた。樋口氏はこう例える。

――大谷翔平選手が自分の体重を発表していなかった場合、専門家と称する人が「大谷選手の体重は45キロと推定される」と言ったとします。そこであなたが「自分の身長は170センチで、体重は70キロを超えている。身長が190センチを超えている大谷選手が45キロのはずがない」と言うと専門家は黙ってしまいました。しかし裁判所は、「大谷選手とあなたとは、年齢も運動歴も体つきも体脂肪率も全く異なる。45キロが正しくないというのなら、年齢や運動歴、体つきや体脂肪率が体重に及ぼす影響について正確に分析した上で、大谷選手の体重を推定してみろ」と言って、「その分析ができないなら専門家の言い分が間違っているとは言えない」として、専門家のほうに軍配を上げたのです。――

 樋口氏は福井地裁裁判長だった2014年12月、大飯原発3・4号機について危険性から設置許可を取り消す判決を下した。想定地震動について、関西電力は過去の観測値の平均値で算出していたが、樋口氏は「それでは危険だ」と断じた。

 後日の講演で樋口氏は「幼稚園児のためのブランコを作る時、園児の平均体重を元に作りますか。一番重い子を基準に作るでしょう」と明快だった。常識で判断させないようにするのが電力会社の手である。

 話を袴田事件に戻すと、よほど特殊な条件に置かない限り、体外に出た血液なら1年も経たずとも黒ずむことは常識で考えれば分かるだろう。だが、検察は最高裁決定の注文を「『5点の衣類』に付着した血痕に赤みを帯びた部分が全く残らないはずであることを明らかにすることが求められている」と捻じ曲げ、特殊条件を作って赤みを残そうとし、写真までも実際より赤くしている可能性がある。仮に「赤みが残ることがある」という実験例があれば、東京高裁は「どのくらいの割合で起きるのかを確率論的に証明せよ」とでもなるのか。「捏造」だけは認めたくない検察はそういうところを狙うが、高裁は無用な専門性を排除すべきだろう。今後、警戒すべきは「無用な専門的知見」にかき回された東京高裁による広島地裁のような「屁理屈」審判であろう。

布団に潜り込んでくる女

 現在進行形の三者協議の焦点は「5点の衣類」の血痕だが、これは事件の翌年の「発見」だ。起訴時点まで警察が「犯行衣服」としていたのはパジャマである。当初、新聞は「血染めのパジャマ」などと見てもいないのに書き立てたが、警察は、巖さんが洗濯したり消火の放水を浴びたりして、血痕が薄くなっていたとした。実際、血痕かどうかもわからないシミ程度のもので、県警では微量を血液型鑑定したが、警察庁の科学捜査研究所の鑑定では検出できず鑑定不能だった。巖さんをなかなか逮捕ができなかったのもこれが大きかった。

 もう1つ力を入れた鑑定は、放火に使った「油」だ。パジャマに混合油がついていたとした。捜査報告書は「パジャマの血こんも被告人が犯行後、洗濯機で洗濯したため通常の検査方法では検出できなかったが、数倍の時間をかけて血液型鑑定に成功し、油質の鑑定についても全国に例を見ない画期的な鑑定に成功したもので、(中略)科学捜査の典型的事例でありまことに得難い経験」などと記している。誇らしげに書くほど、この2つの鑑定の危うさが垣間見える。

「従業員H浮かぶ」「血染めのシャツを発見」と題された毎日新聞の1966年7月4日の記事をスクリーンに示した山崎氏は、「警察は6月2日や3日には犯人は袴田さんと決めてしまっていた。従業員らはその頃、巖さんの写真を警察に持っていかれています」と語った。

 巖さんが警察に狙われた要因は、【1】被害者の橋本藤雄さんは柔道二段の屈強な男だが元ボクサーなら可能、【2】ギャンブル狂で金に窮していたなどだが、女癖も悪いとされた。

 捜査記録には「女癖が悪く、被疑者は元ボクサーの練習当時事故のボクシング教室の妻を横取りにしてアパートに同棲したり、バーの女を誘っては旅館で肉体関係を結んでいた」とある。事件よりも10年ほど前、アマチュア時代の巖さんがボクサーの鍛錬をしていた頃、「ボクシングジムのボクシング教師の妻と袴田ができている」と噂された。

 しかし、ひで子さんは「巖がよく『奥さんが夜、俺の部屋に来て布団に潜り込むんだ。かなわん』と言って実家に逃げてきたりしていましたよ。巖に頼まれて1週間ほど私のアパートに置いてあげたこともあります」と振り返る。ふしだらな関係なら、姉に相談するはずがない。女性は当時40歳過ぎ。亭主と何があったかは知らないが、分別を疑う。だが、静岡県警にとっては、そんな話も巖さんの人格を貶める格好の材料だ。女癖の悪さ、ギャンブル狂、金に窮して強盗殺人もやりかねない……とフェイクニュースを記者たちにリークして行く。

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