建築ではなく広場が主役の「埼玉会館」 無骨な見た目に隠された20万枚のタイルのこだわり

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「埼玉会館」(埼玉県さいたま市)

 地元の人にとっては見慣れた存在。でも歴史を知ると、かなり立派な名建築であることがよくわかる「身近にある意外な名建築」をご紹介する本連載。7回目となる今回ご紹介する建物の特徴は「タイル」だという。「埼玉会館」という名前もパッと見も武骨なビルには極めて複雑なデザインが隠されていた――『日本の近代建築ベスト50』(小川 格・著)から引用してみよう。

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 中田準一は、1965年から48年間、前川建築設計事務所に勤務した。この間、埼玉会館をはじめとして熊本県立美術館、国立国会図書館新館など主要な建築を担当した。

 中田が入所して最初に与えられた仕事が埼玉会館のエスプラナードという広場とホワイエのタイルの割り付けであった。その面積は4千平方メートル、1枚のタイルは10センチ×20センチなので、合計20万枚の濃淡2種類のタイルの組み合わせになる。

 中田は来る日も来る日もトレーシングペーパーにタイルの割り付けを描き続けた。しかし、1カ月もしないうちに考えられるあらゆるバリエーションは出尽くしてしまった。それでも、さらに悪戦苦闘を続け、ついに前川の了承を得られたのは1年後だった。

 一人の所員が1年かけて検討したあげくにできた床のパターン。前川のこのエスプラナードに掛けた想いの強さが想像できる。

 確かにこの建築に近づいても、大ホールの塊と小ホールや会議室の塊の間を縫うように広場が広がるが、埼玉会館という建築が何物なのか、なかなかわかりにくい。建築の中心が見えないのだ。

 もちろん、大ホールはこの建築の主役であり、木質の素晴らしい音響効果をもったコンサートホールとして多くの人に愛されている。

 しかし、そのロビーをはじめホールの半分ほどが地下に埋められているため、外からはその存在がよくわからない。

 つまり埼玉会館では、じつはエスプラナードが主役で、建築はむしろ控えめなのである。

 前川がこの部分を中庭とか広場と呼ばずにあえて「エスプラナード」と名付けたのは、通り抜ける道でもあるが、ちょっと休憩し、あるいは、しばし佇む場所になってほしいという強い思いが込められているからだ。

 埼玉会館を写真に撮ろうとしても、1枚で全体を表現することができない。

 丹下は常に写真写りのよい建築を造ろうと努力した。そのために数多くの模型を作り、徹底的に美しい形を追求した。これに対し、前川は、居心地のよい居場所をつくるために努力した。そのため、平面図を徹底的に検討し、設計の過程で立面図を描くことすら禁じた。

 埼玉会館では、エスプラナードを歩いていくとともに展開してゆくシーンを楽しめるように最大限の努力が払われているのである。それは、少し前の作品、世田谷区役所の前庭からピロティ、広場へ展開する場面とよく似ている。

 前川は大上段に振りかぶって都市を論じることはなかったが、このように、自分が設計することになった建築に都市への接続、開放を強く意識していることが多い。

 新宿紀伊國屋書店は民間のビルなのに道が裏へ抜けている。東京文化会館では、つねに人々がホールで待ち合わせたり、通り抜けてゆく。都市を豊かにしているこれらのちょっとした工夫に前川の真骨頂が見える。

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小川 格(おがわいたる)
1940(昭和15)年東京生まれ。法政大学工学部建築学科卒。新建築社で「新建築」の編集を経て、設計事務所に勤務。相模書房で建築書の出版に携わった後、建築専門の編集事務所「南風舎」を神保町に設立、2010年まで代表を務めた。2022年1月現在は顧問。『日本の近代建築ベスト50』が初めての著書。

デイリー新潮編集部

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