日本が“無謀にも”米軍と開戦した理由に迫る 日本陸軍・謀略機関の「極秘報告書」を発掘

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日本の経済国力が長期戦に耐えらないことは明白だった

 当時は独ソ戦開始に伴い、ドイツとともにソ連を攻撃しようという北進論(陸軍参謀本部中心)と、北方のソ連の脅威が薄れるからこそ資源を求めて南に向かおうという南進論(陸軍省軍務局や海軍中心)が対立していました。秋丸機関は陸軍省軍務局との関係が強く、それゆえ日本の南進を求める文言が加えられたのでしょう。

 南進して英米と戦争になっても、イギリス屈伏の鍵を握るドイツの国力は既に限界に達しているので、長期戦になれば当然日本も勝つことはできません。報告書全体を読むとそうしたことを遠回しながら理解できるのですが、秋丸機関はそれを明確には指摘できませんでした。秋丸機関参加者の苦悩は、ドイツの南アフリカへの進出が必要であるという、どう考えても無理な条件が加えられているところから察することができます。

 秋丸機関の報告は同盟国ドイツの国力の限界を指摘するものでしたし、日本の経済国力が対英米長期戦には耐えられないことは、国家総動員体制確立のための計画立案・推進にあたった企画院や、陸軍省整備局戦備課、内閣総理大臣直属の総力戦研究所などの研究でも繰り返し指摘されていました。

 そもそもアメリカの国力が日本と比べて極めて大きいことは当時の常識でしたので、「正確な情報」は指導者だけでなく一般人もある程度知っていたということになります。

近視眼的な選択の繰り返しで選択肢が狭まっていき……

 にもかかわらずなぜ日本はアメリカと戦争することになったのでしょうか。

 アメリカが本格的に第2次大戦に参戦するためのきっかけとして、英米が日本からの先制攻撃を望んでいたという説もありますが、それと同時に、当時の日本に明確な方針が無く、どのような影響があるかを十分考慮せずに近視眼的な選択をしていったことで、取りうる選択肢が狭まっていき、最後は極めて高いリスクを冒して戦争に賭けることになってしまったという側面を無視することはできません。

 既に述べたように独ソ戦に伴い南進論と北進論が対立し、結局「両論併記」つまり足して二で割る形で、南進論に基づく南部仏印進駐と北進論に基づく関東軍特種演習とが昭和16年夏に実施されます。

 しかし南進は東南アジアの英米の植民地を直接脅かすものですし、北進はドイツと戦うソ連を脅かし間接的にイギリスの脅威になるものでしたので、アメリカは日本を牽制するため在米日本資産を凍結するとともに、日本に対する石油輸出を停止します。こうしたアメリカの厳しい反応は日本の予測を超えるものでした。

 これにより日本の石油備蓄量と消費量から、1~2年で日本は石油を失い「ジリ貧」に陥って戦わずに屈伏することが確実視されましたが、一方で石油を求めて開戦するにしても多くの調査が示すようにアメリカの国力は圧倒的であり、それと戦えば日本は高い確率で敗北すること(ドカ貧)も明らかでした。

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