日本が“無謀にも”米軍と開戦した理由に迫る 日本陸軍・謀略機関の「極秘報告書」を発掘

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 今年の12月8日は、日本軍の真珠湾攻撃から80年の節目に当たる。なぜ日本は大国・アメリカに戦いを挑んだのか。慶應義塾大学経済学部の牧野邦昭教授が、当時の陸軍内部の「謀略機関」極秘報告書を発掘。その分析を通し、無謀な開戦に突き進んだ「謎」に迫った。

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 今から80年前の昭和16(1941)年12月、日本はアメリカとイギリスに宣戦を布告し、多くの犠牲者を出して昭和20(1945)年8月に敗戦を迎えることになります。経済国力の極めて大きいアメリカに対して開戦したことは現代の視点からは非常に無謀に見えます。そのため、これまでは当時の日本の指導者(特に軍人)の「愚かさ」「非合理性」が批判されてきました。

 しかしよく考えてみると、当時の日本の指導者は、政治家や官僚であれば帝国大学、軍人であれば陸軍大学校や海軍大学校を卒業し、海外経験もあるエリート中のエリートです。彼らが今の日本の政治家と比べても格別に愚かで非合理的だったとはいえません。また、彼らがアメリカと日本との国力差を知らなかったわけでもありません。むしろ日本や各国の経済力の調査は政府や軍の内部で盛んに行われていました。

アメリカの経済国力を記した文書は焼却処分に

 ノモンハン事件で日本軍がソ連軍と戦って大きな打撃を受け、さらにヨーロッパで第2次世界大戦が始まった昭和14(1939)年、日本陸軍は将来の総力戦に向けた研究を行うために陸軍省内に「経済謀略機関」を作ることを決めます。計画を主導したのは、スパイ養成機関として知られる陸軍中野学校などの創設に関わり「謀略の岩畔(いわくろ)」と呼ばれた岩畔豪雄(ひでお)大佐でした。

 実際の機関の運営のため、満洲国の経済建設に関わった秋丸次朗主計中佐が関東軍から呼ばれ、陸軍省戦争経済研究班(対外的名称は陸軍省主計課別班)、通称「秋丸機関」が作られます。秋丸中佐は有沢広巳や中山伊知郎など一流の経済学者や統計学者、地理学者、さらに官僚などを集め、日本のほか、英米ソなどの仮想敵国、同盟国のドイツやイタリアの経済抗戦力、特に脆弱な点を分析しました。

 秋丸機関の研究とその結末については、中心人物の一人だった有沢広巳の戦後の証言が長らく信じられてきました。有沢によれば、昭和16年の日米開戦前に行われた秋丸機関の陸軍上層部に向けた報告会では、アメリカの経済国力の大きさが強調されましたが、説明を聞いた杉山元(はじめ)参謀総長は「本報告の調査およびその推論の方法はおおむね完璧で間然するところがない。しかしその結論は国策に反する、したがって、本報告の謄写本は全部ただちにこれを焼却せよ」と命じ、報告書はすべて回収されて焼却されたというのです。

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