「日本の身代わり」で東欧2カ国がソ連に支配されていた! 終戦後に日本が分割占領されなかった理由

国際2018年9月6日掲載

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日本を怖れたスターリン

 第2次世界大戦の終了後、日本はなぜ事実上ほぼアメリカ1国の占領下に置かれたのだろうか。なぜドイツのように、アメリカとソ連をはじめとする連合国の分割占領とならなかったのだろうか。

 いまだ返還されない北方領土や、南北に分断された朝鮮半島を思えば、日本の占領からソ連の影響力を排除できたことは、われわれ日本人にとって僥倖であったのは間違いない。

 あまり知られていないことだが、日本がアメリカによる「単独占領」に置かれた背景には、日本の「身代わり」として、ブルガリアとルーマニアの東欧2カ国がソ連に差し出されたという歴史的事実がある。

 国際政治学者の細谷雄一・慶應義塾大学教授は、近著『戦後史の解放II 自主独立とは何か』において、アメリカとソ連の取引によって、日本と東欧2カ国が「交換」されたことを明らかにしている(以下、引用は同書より)

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 終戦後、ソ連の指導者スターリンは、「負かされても、日本人のような民族は必ず立ち上がってくる」と、日本に対して強い恐怖心を抱いていたという。そのことを細谷教授は次のように指摘している。

「ロシア人は半世紀の間に、日露戦争、シベリア出兵、そしてノモンハン戦争と、強大な日本軍の侵攻を、3度も経験していた。その強大な軍事力による侵略を受けた記憶からも、日本の将来について、ロシア人は根強い恐怖心と不安を抱いていたのだ。それは簡単に払拭できるものではなかった。言い換えれば、規律正しく、組織的で効率的な日本国民が持つ潜在的な資質に対して、ロシア人は畏怖を感じていたともいえる。」

 そしてスターリンは、日本が二度と立ち上がれないようにするために、過酷な占領政策を行うべきだと考えていたという。だが一方でスターリンは、アメリカの原子爆弾に対して、より大きな恐怖を覚えていた。スターリンはソ連国内の原爆開発担当者に次のように言った。

「ヒロシマは世界全体を揺るがした。バランスが崩壊したのだ。爆弾を開発せよ。それによって、われわれは巨大な危険から解放されるであろう」

核兵器開発とウラン

 しかし、ソ連が自前で核兵器を開発するには、大きな難問が立ちはだかっていた。ソ連国内で核兵器を作るために十分な量のウランが見つかっていなかったのである。そこでスターリンは、日本占領よりも、高品質のウラン鉱石が埋蔵されているブルガリアとルーマニアを勢力圏に組み入れることを優先して考えるようになる。

 1945年10月、スターリンはアメリカのハリマン駐ソ大使と会談し、アメリカが対日占領で優越的な地位を独占するのを認めるかわりに、ソ連がブルガリアおよびルーマニアとの戦後処理で優越的な地位を独占すること認めるよう、「交換取引」を持ちかける。米ソの利害が一致した結果、日本と東欧2カ国の「交換」は1945年12月のモスクワ外相理事会で外交的合意として成立する。

 冷戦終了後になって明らかになったこの「取引」を、細谷教授は著書の中で次のように振り返っている。

「この1945年12月のモスクワ外相理事会では、ソ連のルーマニアおよびブルガリア支配を承認するという対価を払って、アメリカは日本の実質上の単独占領の権利を確保する。これは通常われわれ日本人は意識していないことであるが、戦後日本の再出発は東欧諸国のソ連による支配という犠牲の上に成り立っていたといえるのかもしれない」

 国際政治学者で慶應義塾大学法学部教授の細谷雄一氏と、インターネット配信番組「国際政治チャンネル」でともに活動する篠田英朗氏のトークイベントが、9月27日(木)19時より、東京・神楽坂にあるキュレーションストア〈la kagu〉にて開催される。詳しくは
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01cfmdzqbh2i.html

デイリー新潮編集部