「笑い声は時として凶器になる」 ふかわりょうが五輪を巡る炎上騒動で感じた「周囲の笑い声の残酷さ」

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笑い声が“凶器”に変わる瞬間

 ふかわりょうが刊行したエッセイ集『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)は、発売日に即重版するなど話題に。お笑いを仕事にしてきたふかわさんが思う、笑い声が“凶器”になる恐ろしさとは。

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 女性蔑視発言。学生時代の悪行自慢。メダルを噛んだ首長。多くの批判を呼び、大きな炎に包まれましたが、これらに共通していることは、笑い声が聞こえること。いつも、そこに笑いがあること。

 教壇で生徒が教師の尻に蹴りを入れている動画が拡散されたことがありました。教師が蹴られる度に響く笑い声。私が教師の立場だったら、蹴りを入れられることよりも、笑い声の方に痛みを感じます。なぜなら、その笑い声は、彼の行為を肯定しているから。客観的に彼を応援する形になっているから。教師は孤立し、笑い声が凶器に変わっています。

笑い声を形成するものとは

 この笑い声を形成しているのはなんでしょう。本当に面白いと思っている者。なんとなく雰囲気で流されている者。笑わないとまずいのではという同調圧力に屈した笑い。さまざまな笑いがありますが、それらがミックスされた結果、生徒の蹴りにエネルギーを与えます。笑い声という形で蹴りに加担している。それは、蹴りを受ける者に精神的な痛みを与えます。

 女性蔑視発言も同様、笑いがありました。発した者は蔑視しているつもりはなく、むしろ、みんなが喜ぶと思ったのではないでしょうか。「あの人がいると、長くなるからな」くらいの気持ちで。ここでも、共感して笑う者、権力に屈して笑う者。結果、「そうだそうだ!」と加担する声になります。もしも、あの映像に笑い声がなければ、嫌悪感は若干薄まったかもしれません。

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