「笑い声は時として凶器になる」 ふかわりょうが五輪を巡る炎上騒動で感じた「周囲の笑い声の残酷さ」

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タレントの役割

 漫才やコントのツッコミは、ある意味、社会通念。常識の役割。突飛な発言が出たとき、相方が突っ込むことで笑いになる。たとえ不謹慎なことを言ったとしても、「あかんやろ」と制裁を加えることでボケが笑いとともに流れていきます。もちろん、度を超えたものは、突っ込んでも問題視されますが。しかし、そういった制裁を加えないまま、周囲が容認してしまっていると、その空間では笑いで水に流せても、一度外に出回った時、風当たりは計り知れないものになり、やがて炎が立ち昇ることでしょう。(ツッコミという名の訂正や制裁は、いろんな方法がありますが、ここでは一例としてあげています)

「新幹線でスクロールするニュースを見ていたんですよ、そしたらね、鳴き砂の音がラだったっていう。もう、どうでもよくって」という男性二人の会話がかつて放送されました。聞き手の方はもちろん、客席も笑っています。視聴者の私は真顔。喫茶店での会話なら問題ありません。そこでテレビが伝えたのは、「鳴き砂の音がラというニュースはみんながどうでもいいと思っている」ということ。私は、幸か不幸か、このような経験をエネルギーにし、時を経て文章化するタイプですが、どんなハードディスクよりも高画質で私の脳裏というスクリーンに投影されるのは、少なからず、痛みを伴ったからでしょう。もしあの時、聞き手が、「そんなことないでしょ、重要なことだよ」と言えば、鳴き砂の研究者を始め、私のような視聴者の気持ちを汲み取ることができ、お客さんの笑いのベクトルも変わってきます。前者では、「鳴き砂の音がラだとわかることがどうでもいい」に同調する笑いですが、後者は、「どうでもいい」と思う人に対する笑い。テレビタレントというのは、そういった、笑いと配慮を瞬時に判断しながら言葉を発することが仕事だと思っています。なので、時として、自分の意に沿わないことも放たないといけません。仕方ないです、プロなのですから。そんな私も、過去に大事故を起こしたことがあります。

薄毛をウリにするタレントに放った暴言

 トーク番組に出演した時です。司会は、薄毛を商売道具にしている男性タレント。その方にいたずらされて、返す言葉を探す、当時20代の私。そうして放った言葉が、「この……ハゲ!」。スタジオは一瞬ひやりとしました。その後、客席から上がる「えー!」というブーイング。「ひどい」「言っちゃいけない」という空気。収録ではあるものの、生放送のような完パケスタイルだったので、そのやりとりはそのままお茶の間に流れました。収録後、番組のプロデューサーが私を呼びます。

「ふかわ、言っちゃったらダメなんだよ。このハ……ハ……初めましてとかさ」

 本当にありがたいです。たとえそれを売りにしているとしても、自虐で言うのと、他者から言われるのでは全然違います。あの発言は完全にプロ失格。あの時のスタジオの空気とプロデューサーの言葉が私の体に深く刻み込まれました。

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