なぜ妻は突然、その日暮らしの「バツ3男」と逃げたのか……エリート商社マンが今だから語れる“反省と感謝”

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「裏切りやがって!」。妻がいきなり男と逃げた。その事実を知ったとき、曽我大作さん(仮名・48歳)は、当たり前だが怒りに震えた。後からわかったことだが、相手は定職に就かず、その日暮らしで生き続けてきた男。3回の離婚歴までついていた。某一流国立大卒で大手商社に勤める大作さんとは、比べる価値もない男だ。なぜ妻は、そんな男を選んだのか――。(ライター・上條まゆみ)

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周囲に祝福された結婚

 妻が出て行ってから6年の月日が経ち、いまは落ち着いて振り返るようになったという大作さん。都内の居酒屋でビールの大ジョッキを片手に、離婚までの顛末を淡々と語り始めた。

「おおらかで、いつもニコニコしている妻を好きになったんです」

 大作さんが妻と知り合ったのは、転勤でしばらく赴任していた地方都市。同僚に、地元の同級生を紹介された。当時、大作さん32歳、妻26歳。友だち付き合いから恋愛に発展した。

 その後、大作さんは東京に戻り、1年半ほど遠距離恋愛を続けてから結婚した。向こうの両親は、田舎育ちで学歴も普通、人並外れたところもない娘が、東京のエリート男性と結ばれたと大喜び。大作さんの両親も、30代半ばの息子に伴侶ができたことに安堵している様子だった。

「『よかったねえ』と親族や友人から祝福されての結婚で、妻もまんざらではなかったと思います。少なくとも、あの頃は」

 結婚後は、東京の下町にある社宅に住んだ。気さくな人が多い土地柄で、妻はすぐに溶け込んだ。

「ママ友もたくさんできて、子育てを頑張ってくれていました。一方、私は残業が月に100時間を超えるほど忙しかった時期。妻に家庭を任せ、私は仕事に集中するというライフスタイルに、まったく疑問も持っていなかった」

海外赴任から帰国後に変わり始めた妻

 数年後、大作さんはシンガポールに赴任することになり、妻子も帯同。3年間を過ごした。

「向こうは日本ほど忙しくなかった。仕事に対する考え方が日本とは違っていて、無駄な残業をすることが評価につながらないのです。短時間でピシッと仕事を終わらせるようになり、家族と過ごす時間が増えました。妻も英語の勉強をしたり、料理を習いに行ったり、“駐妻”生活を楽しんでいたと思います。思えば、ここまでが家庭円満な時代でした」

 帰国後、大作さん夫婦は、東京都心のタワーマンションに住むことにした。駐在中の知り合いから、ちょうど空きが出たと教えられたからだ。

「シンガポールでの3年間で社交性が身についてきた時期だったし、ゲストルームが充実している環境は魅力的だと思って夫婦で決めたんです」

 だが、円満だった夫婦関係の歯車が、そこから少しずつ狂い出していく。子どもは元気に通学していたが、妻はそのマンションの他人行儀な雰囲気にうまく馴染めないようだった。塞ぎがちになり、子どもの学校行事なども行き渋るように。大作さんが一人で土曜参観に出向いたとき、まわりのママたちから「曽我さんの奥さん、あまりしゃべらないよね」などと言われて、大作さんは「あれ?」と思った。

「人付き合いは得意なほうだったのにな、と。このとき危機感をもっていれば……。思い出してみると、いくつもサインは出ていたんですよね」

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