大谷翔平とベーブ・ルースを比較するのは両者に失礼? 存在自体が“発明”だった男(小林信也)

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 大谷翔平の活躍で、久々にベーブ・ルースの名前がメディアに登場するようになった。「二刀流」を比較する格好の相手がルースだからだが、私はどうにも居心地の悪さを感じる。大谷は素晴らしい、けれど、「ベーブ・ルースを超えるか」といった表現は妥当ではないと思うからだ。

 長嶋監督に請われて巨人に移籍した落合博満に取材した時、落合がため息まじりに呟いたのを思い出す。

「オレがどんなにタイトルを獲って、数字で全部上回っても、長嶋さんを超えることはできない」

 打者としての実績、記録ではことごとく落合が長嶋を上回った。それでも人々の記憶に刻まれた興奮や敬意の深さはなかなか超えられない。長嶋が当時の社会に与えた劇的なインパクトは、数字では表せないからだ。落合は、数字を伸ばしても超えられない幻と闘い続けているようにも見えた。

 ベーブ・ルースもアメリカ社会にとって、時代を象徴する寵児だ。数字だけで比較するのは、大谷にもルースにも失礼だ。二人は何から何まで違う。優等生的な大谷。ルースは悪ガキで天衣無縫。それぞれ魅力的で、時代を反映している。

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