大谷翔平とベーブ・ルースを比較するのは両者に失礼? 存在自体が“発明”だった男(小林信也)

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不遇な少年時代

 後にベーブ・ルースと呼ばれる少年の名はジョージ・ハーマン・ルース。だがそれも定かでなく、名字も諸説ある。それくらいルースの少年時代は曖昧だ。

 ルースは、親に捨てられた少年だった。母親が元気な幼年期はそれなりに幸せな生活で、友人家族とピクニックを楽しんだ記憶も語られている。ところが母が病気がちになり、酒場を営む父親が経営に苦しみ余裕をなくすと一変した。ルースは6歳でタバコ、7歳で酒の味を覚えたという。学校にも行かない悪童ぶりに手を焼き、父親はボルチモアのセントメアリー工業学校にルースを放り込む。「矯正学校」とも呼ばれる全寮制の収容施設。ブラザー(修道士)の指示に背けば問答無用の鉄拳制裁が浴びせられる封建的な環境。ルースは学校の仲間たちからのイジメにも遭った。家を追われた少年時代は温情のない、冷たい日々だった。

 唯一、希望の光が差したのは野球との出会いだ。普段は厳しい神父が野球の機会を与えてくれた。ブラザーの投げるボールに空振りを繰り返したルースだが、やがて白球を打ち返し、誰も飛ばせない距離まで運んだ。校舎の窓を直撃し、大きな音を立ててガラスが砕け散った時、ルースは震え上がり首をすくめた。大目玉を食うと恐れたからだ。ところが、ブラザーは驚いた顔でルースを見た。それが、ジョージ・ハーマン・ルース少年が自分の居場所を見つけた瞬間だったと伝説は記している。だが、「遠くに飛ばす打撃の才能」が、檻の中同然の寮から自分を解放し、巨万の富を得て綺麗な女性と恋愛し、好きな食べ物やお酒をいくらでも嗜める人生に導いてくれるとはまだ想像していなかった。ルースだけではない。野球の盛んなアメリカ社会でさえ、「ホームラン王」というスターの存在をまだ知らなかった。それはルースが初めて体現した、新しい「畏敬」の対象だった。

 1918年、ルースが初めてホームラン王を獲った時の数はわずか11本だった。19年に29本で全米を驚嘆させ、20年54本、21年59本と急増させた。その熱狂こそがルースの神話そのものだった。60本を打ったのは27年だ。ルースはメジャー・リーグの、そして野球の常識を変えたのだ。

 想像を超える空飛ぶ飛行機が人々を驚嘆させたように、ホームラン王ルースの存在は「発明」にも近い衝撃だった。

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