「スーパー玉出」で脚光 取材拒否の色街「飛田新地」はどんな街?

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 ド派手な黄色の看板にでかでかと書かれた「玉出」の文字。パチンコ店と見紛うような外観の激安販売店「スーパー玉出」の創業者が、大阪市西成区の歓楽街「飛田新地」で、暴力団から売春の収益の一部を受け取った疑いで逮捕された。

 思いがけず焦点が当たった「飛田新地」は、大正時代に作られた日本最大級の遊廓の跡地である。もちろん売春は違法であり、現在飛田新地は“ちょんの間”料亭街となっているわけだが、遊廓だった当時の雰囲気は未だに色濃く残っている。

 誰しもが一度くらいはその名前は聞いたことがあるだろう。しかし、大人の男性ならまだしも、色街に女性や子どもが足を踏み入れることはそうそうないことだろう。ましてや、取材拒否の街である飛田新地の人間模様を事細かに知ることなど不可能に近いのではないか。

 フリーライターの井上理津子さんは、12年に亘りこの街の「中」に入り込んで取材を続けた。著書『さいごの色街 飛田』には、平成の初め頃、この街にハマり3年間毎週、計150回くらい通ったという男性の体験談が描かれている。(以下、同書より引用)

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 バイト先の酒屋から毎週土曜日に週払いの給料を確か3万円ほどもらうと、それを握りしめてその足で行ってたんです。(中略)

 そのころの飛田は、今と違って、土曜の夕方に道路を歩くと、他のお客さんと肩が触れるほど賑(にぎ)わっていたんです。僕みたいに若い者もいたし、作業員風のおっさんとかも多かった。「にいちゃん、寄っていきや~」とやり手ばあさんは腕をつかむわ、離さへんわで熱気ムンムン。確か、PECC(太平洋経済協力会議)が開かれた時から、飛田の自主規制でやり手ばあさんが玄関の敷居から外に出て客引きするのをやめたのだけど、当時はもうやりたい放題だった。(中略)

 だいたいがやり手ばあさんが部屋まで案内してくれて、1万円くらいやったか。万札を1枚出すと、「にいちゃん、もうちょっと色つけといてぇや」と言われるけど、「こんだけしかないねん」と言うと、意外とあっさり「そうか、ほな」てな具合。藤本義一さんが、「飛田の値段はハイヒールの値段と一緒」ってテレビで言うてはった記憶があるけど、ちょうどそんな感じやね。

 コンパニオン風の洋服を着た女の子がお盆でコーラを運んでくる。で、僕は「自分、きれいなぁ」「その服、似合うなあ」とか、女の子をほめちぎって。(中略)

 飛田のタブーは、女の子に「どこから来たか」「この商売をどれくらいの期間やってるか」などとプライバシーを訊くこと。説教も嫌われる。そのあたりを心得て、天気がどうだとかと当たり障(さわ)りのない話をするのがエチケット。年齢は「22」と言う子が多かったけど、実際はみんなもうちょっと年上やったと思う。こちらとしては、相手が同世代では照れるから、年上の人の方が気楽でしたね。

 少し話したら、女の子は「用意してきますね」で、部屋の外へ出て行って、またすぐに戻ってくる。ゼリーをつけてくるわけ。部屋は、その女の子の趣味がよく出てて、ぬいぐるみいっぱいの部屋もあれば、「キャッツ」のポスターなんかを貼っている部屋もあった。

 で、こちらがぐずぐずしてたら、「にいちゃん、時間ないよ」と先導してくれる。(中略)終わってからちょっと話をしたら時間になるから、内線電話で「終わりました」と言って、服を着て降りて行って終わり。

 性のはけ口以外の何ものでもなかったけど、僕の場合、他の風俗でなく飛田やったのはやっぱりあの町の情緒かな。ウソの世界と分かっていながらハマッたんやね。(中略)

 飛田の周りに風呂屋が多いの、なんでか知ってます? 女の子に嫌われたくないから、店に行く前に風呂屋で体を洗ってから行くの。(中略)風呂屋には同じようなおっさん、いっぱいいましたよ。どこの店がどうやったこうやったと見ず知らずのスケベなおっさん同士しゃべって、風呂屋が情報交換の場になってるの。滑稽でしょ。アホでしょ。

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 この男性の話を聞いた井上さんは「店に行った後に風呂屋で体を洗うというのに、もっと驚いた。『不潔、気持ち悪い』と思っていながら、女性を買うとは。男の気持ちは計りしれない」と思ったと語る。同書ではさらに、飛田新地で働く女たち、客、経営者らの生の声に耳を傾け、取材拒否の色街のリアルな姿に迫っている。

 知ることが出来ないとなると、余計に知りたくなる。そんな人間の好奇心を駆り立てる飛田新地。平成もあと少しで終わり、2025年には大阪万博が開催されることも決定したが、果たしてこの色街も姿を変えていくのだろうか。

デイリー新潮編集部

2018年12月8日掲載

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