分断されても分裂はしないアメリカを解剖する――阿川尚之(慶應義塾大学名誉教授) 【佐藤優の頂上対決】

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絶望のないアメリカ

佐藤 そうした制度を信頼し、前向きなのがアメリカです。私はチェコの神学者フロマートカの自伝を訳したことがあるのですが、彼は、アメリカは18世紀的な啓蒙の理念がそのまま20世紀も生きている国だと総括します。そこがヨーロッパ人との違いで、ドイツ人が持っているようなドス黒い感覚とか、後ろ向きにモノを考えるひねくれた思いなどはわからないと言うんです。

阿川 それは面白い指摘ですね。

佐藤 ヨーロッパ人が体験したような、絶望の淵で神をどう考えるかとか、あるいは強固な階級社会で生きた経験とかがない。だからどこかでロマン主義的なものが生き延びた。しかもフロンティア開拓の時代に、夢は叶うという経験もしています。

阿川 アメリカには不満はいっぱいあるけれども、本当の絶望はないと思います。民主党も共和党も、それぞれの希望と理念を語りますね。

佐藤 ワシントンで独立宣言をしたチェコスロバキアの初代大統領マサリクが言うには、アメリカはまず、理念によって支援してくれる国なんですね。

阿川 香港や新疆ウイグルで弾圧されている人々、今回アフガニスタンを脱出しようと望む人にとっても、最後の希望はアメリカですよ。ただ、今のアメリカが彼らの期待に応えうるかどうかは、わかりません。それでもアメリカは、約5万人のアフガン難民を撤退の前後に短期間で国内に受け入れています。

佐藤 いまアフガニスタンから撤退したアメリカの弱体化を言う人がいますが、アメリカには圧倒的な軍事力がありますし、ドルは事実上の基軸通貨です。アメリカに代わる国はない。

阿川 今回、期限通り撤退して、国の内外でいろいろ批判を受けたものの、大統領は決めたことを断固守りました。オバマ、トランプ、バイデンとその支持者は国内政策では激しく対立しましたが、対外政策では予想した以上に一貫性があって、すっかり内向きになったと感じました。

佐藤 バイデンはカトリックですよね。

阿川 そうですね。

佐藤 カトリックは旧約聖書をほとんど読みません。基本となる新約聖書はローマ帝国をベースに考えますから、「世界帝国」に肯定的です。それは普遍主義につながっている。

阿川 なるほど。

佐藤 一方、旧約聖書では、世界帝国は悪です。ペルシャもバビロニアも悪で、神はユダヤ人にはユダヤ人が統治する土地を与えて移動を禁じた。つまりネーションステート(民族国家)の発想です。だから旧約を読むプロテスタント、特にカルバン派が強い地域は、ネーションステート的な国家になる。トランプは、カルバン派のプレスビテリアン(長老派)ですよね。だから内向きになっていったのはよくわかる。一方、バイデンは国際協調を進めるなど、普遍主義的です。

阿川 深い話ですねぇ。ただアメリカには、常に両方の要素があります。

佐藤 それが振り子のように揺れますよね。自由やデモクラシーの理念も、振りかざすと世界帝国化します。

阿川 振り子が行ったり来たりするのは健全だと思います。むしろ一方向に大きく振れたまま戻らないと、怖いですね。9・11事件のあとには、その傾向があった。あの時は無理もなかったとも感じますが、やっぱりアメリカが一方向に走り出すと、危ない面もある。20年経って、その振り子が戻ってきて、逆の方向に振れている。そんな感じですね。

佐藤 一つになると危険なのは、ロシアにもドイツにも言えます。

阿川 トランプ以降、アメリカの「分断」がしきりに語られます。日本では識者が、民主党と共和党は互いにもっと歩み寄れと言います。確かに過度の対立は建設的でない。でもマディソンが指摘した通り、党派間の野心に基づく対立が権力の濫用や圧政を防いできた。この国で分断は目新しい話ではありません。分裂寸前がアメリカの常態とまで言えるかどうかは別として、憲法と法律の範囲内での対立が民主的な社会を形作り、活力の源にもなっている。しかも時に一つにまとまり、大きな力を発揮する。そうしたアメリカを理解することが必要です。

阿川尚之(あがわなおゆき) 慶應義塾大学名誉教授
1951年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部中退、米ジョージタウン大学スクール・オブ・フォーリン・サーヴィス、同大ロースクール卒。ソニー、米国法律事務所などを経て、99年慶應義塾大学教授。2002年から05年まで在米日本大使館公使。16年より慶應義塾大学名誉教授、21年まで同志社大学特別客員教授。近著に『どのアメリカ?』

週刊新潮 2021年10月14日号掲載

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