不倫の恋が「癒し」だったのに…お相手女性が出産、突然の失踪 アラフィフ男の転落と後悔

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 人生に失敗はつきものだ。不倫もそのひとつかもしれないと考えている男性がいる。彼は今もなお、「自分の何がいけなかったのか」を考え続けているが、答えはでない。ときおり「運が悪かっただけ」と思うこともあると正直に話してくれた。

 山本啓一さん(50歳・仮名=以下同)は現在、80歳になる母の介護をしながら実家で暮らしている。築50年近い家を自分で直しながら住んでいるが、激しい雨が降ると、どこからともなく水が漏れる。収入源は父の遺族年金と母の年金だけだ。

 母を看取ったらどういう人生が待っているのかまったくわからない。

 啓一さんは大学入学のため、18歳のときに実家を離れて上京した。卒業すると、ある有名企業に就職、28歳のときに1歳年下の女性と社内結婚した。

「ありふれた平凡な人生でした。でもそれが幸せだと思っていた」

 妻は寿退職し、彼が29歳のときに長男を、31歳のときに長女、35歳のときに次男を授かった。

「家事育児は妻任せで、決していい夫でもいい父親でもなかったかもしれません。でも一生懸命働いて、休みの日には目一杯、子どもと遊んだりもしました。子どもたちはかわいかった。いつ自分の命を引き換えにしてもいいと思っていた。まあ、ごく普通の父親のあり方だったと思います」

 そんな啓一さんの人生がおかしくなったのは、彼が40歳のときだ。先天性の病気をもった次男の容態が急に悪化、5歳でこの世を去ったのだ。4歳になるころ大手術を受け、すっかり元気になっていたはずだったのに……。

「頭がおかしくなりそうでした。せっかく大手術に耐えたのに。たまたまひいた風邪がもとで肺炎を起こし、あっけなく逝ってしまったんです。あまりのことに涙も出ず、でも体の内側が常に泣いている、そんな苦しくてたまらない時期が続きました。妻の久美は、それでも上のふたりの子どもたちのケアをしなければならない。人はそうやって日常生活をしっかり送ることで少しずつ立ち直っていくのかもしれません、今思えば。でも僕にはそれができなかった。ふたりの子を見ると末っ子を思い出してしまう。どうして助けてやれなかったのか……」

 啓一さんはそう言って目を潤ませた。親として子に先立たれるほどつらいことはないだろう。だが、そこで絶望したら、妻と上のふたりの子はどうしたらいいのか。

「そうですね。あのころは自分の絶望しか見えてなかった。妻が笑うと、どうしておまえは笑えるんだと内心、妻を憎んだりもしていました」

 家の中の雰囲気が変わった。1周忌が終わったとき、妻が「生きているふたりを大事にしよう、なるべく明るく育てていこうよ」とつぶやいたが、彼にはそれが「末っ子は忘れろ」と言っているように聞こえて、はらわたが煮えくり返る思いだった。

「どうしてそんなに冷たいんだ、と怒鳴りつけてしまったんですよ。『おまえがもっと早く病院に連れていけば死なないですんだはずだ』とも言った。妻は号泣していました。絶望的な声を上げていましたね。妻だってつらかったのに寄り添うことができなかった。むしろ妻が自分に寄り添ってくれないことを恨んでいた」

 生活のためになんとか仕事は続けていたが、以前ほど仕事に没頭することはできなくなった。まっすぐ家にも帰れず、ひとりで飲み歩くこともあった。そんなとき声をかけてきたのが、派遣社員として啓一さんの部署に来ていた当時28歳の美智さんだった。

「どういうきっかけがあったのか忘れましたが、彼女とふたりで飲んだんですよ。彼女から誘われたのかもしれない。子どもが亡くなってから僕の様子がおかしいのは社内でもみんなわかっていましたから。飲みながら、ふと気が緩んだんでしょうね、僕は子どものことや妻の愚痴などを彼女にしゃべっていた。誰にも言えなかったのに、ただの仕事仲間になぜ話したのかわかりません。たぶん彼女には話しやすかったことと、適度に心の距離があったからじゃないかな」

 泥酔したあとの記憶は途切れ、気づいたらホテルにいた。美智さんが水をもってきてくれ、一気に飲み干した。そしてそのまま彼女に覆い被さった。

 当時、美智さんは結婚したばかりだった。彼女は翌日から、何事もなかったかのように仕事をしていたという。

「彼女には申し訳ないと思いましたが、何もなかったことにしたほうがお互いのためだと自分に言い聞かせました。その後、彼女は派遣期間が終わって会社を去りました」

 ただ、少なくともあのとき啓一さんは彼女に「癒やされた」と言う。あまりの寂しさ、あまりの孤独感で、あのままだったら何が起こってもおかしくないような状態だったと振り返る。彼女の温かい肌、優しい振る舞いに彼は救われた。

「妻が悪いわけでもないのに妻を責めたことにも気づきました。妻に心から謝ったけど、許されてはいないと思います。でも残った子どもたちのためにもがんばろうと思えたのは、美智のおかげです」

 妻との関係はぎくしゃくしたままだったが、子どもたちが大きくなるまではこの家庭を維持しようとふたりとも暗黙のうちに思っていた。

復活した美智さんとの関係、そして…

 5年後、啓一さんが45歳のとき、33歳になった美智さんが再び会社に現れた。今度は契約社員として仕事を始めたのだという。

「あれから結婚したものの2年で離婚しちゃいましたと、あっけらかんと言う彼女に、ああ、自分はこの女性に惹かれていたんだと改めて感じました。食事に誘って、あのときのお礼を言うと、彼女は『人間、人肌でしか慰められないことってありますよね』とつぶやいたんです。彼女もつらいことを耐えてきた経験があるんでしょう。彼女は『あなたにもう一度会いたくて、契約社員になったんですよ』と笑顔を見せました。うれしかった」

 そこから自然と関係が復活した。もちろん「いいこと」だとは思っていなかったと啓一さんは言う。それでも妻とはあれきり寝室も別となり、拭いきれない寂しさは彼の体の内側にすっかり根を張っているような日々だったから、美智さんに心身ともに縋った。彼女もまた、離婚したことで何らかの傷を負っていたのかもしれない。

 ふたりの関係は静かに続いた。彼は週に1度は美智さんがひとりで暮らすアパートを訪れたが、泊まったことはなかったし、彼女に「もっと一緒にいたい」と引き止められたこともない。互いの情熱を感じながらも節度をもっていたのは、「ふたりとも長く関係を続けたいと思っていたから」だと彼は言う。

「2年たったとき、彼女が妊娠したんです。どんなときも避妊していたのに。一瞬、オレの子ではないだろうと思いましたが、それは言えない。彼女は『別れてもいい、私はあなたの子を産みたい』と。僕は『わかった。離婚はできないけど認知はする。できる限りのことをする』と言いました。亡くなった末っ子が来てくれたような気もして、とても産むななんて言えませんでした」

 彼女はつわりもほとんどなく、仕事を続けていた。

「この子、とってもいい子なの。昼間は静かにしていてくれる。私のつわりは夜だけと彼女が言うんですよ。実際、僕が彼女の家に行くとつらそうなことが多々あった。でも翌朝には平然と職場に現れる。女性ってすごいなと思いました」

 数ヶ月後、彼女のお腹が少しふっくらして安定期に入ると、彼女は妊娠を公表したが「シングルマザーになります」と元気に報告、社内にも詮索する雰囲気はなかった。それが彼女の「人徳」だと啓一さんは言う。

「性格的にも好かれていたし、なにより仕事ができましたからね、彼女を正社員にという声もありました。人事がいろいろ聞き取り調査した結果、彼女の希望で、出産後に正社員になることに。これには彼女も本当に喜んでいました」

 啓一さんとしてはバレたらまずいという気持ちと、彼女のためにはよかったと思う気持ちが半々で、複雑だったようだ。

「臨月に入ると実家の母が手伝いに来てくれることになったから、あなたはしばらく私の元に現れないでと彼女に言われました。彼女は母親にさえ僕の存在は告げていないから、と」

 生まれたのは男の子だった。やはり次男の生まれかわりだと啓一さんは強く思ったという。退院したと連絡があったとき、彼女の母の留守に、彼はこっそり美智さんの家に行って我が子を対面した。かわいくて涙がこぼれた。当面の生活費と養育費として、彼は200万円を彼女に渡している。

 ところがある日、妻の久美さんが彼にスマホを突きつけてきた。

「誰から送られたのかわかりませんが、僕が彼女のアパートから出てくるところ、彼女が窓から見送っているところなどの写真がありました。そして『子どもが生まれたんですね』という文面も。美智が子どもを抱いて外であやしている写真もありました。どういうことか説明してほしいと言われたけど、何も言えなかった。妻は一言、『説明できないなら、もう出て行って』と。とりあえず身の回りのものをキャリーケースに詰めて、会社近くのビジネスホテルへ行きました。これからどうしたらいいのか、どうすべきなのかまったく考えが浮かばなかった」

 鬱々とした気持ちで会社とホテルを往復する日々が続いた。彼女から毎日のように届く子どもの写真だけが救いだった。ところが1ヶ月後、突然、彼女と連絡が取れなくなった。電話もつながらない。慌ててアパートに行ってみるともぬけの殻だった。

「何があったのかまったくわかりませんでした。翌日、彼女が会社を辞めたと知りました。どこへ行ったのかもわからない」

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