「妻が最後に発した言葉は、娘の名前でした」 “無罪主張”の日立妻子6人殺害の父親が寄せていた手記

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「記憶がなくなってしまった。事件のことはわからない」――。2017年10月、茨城県日立市で発生した「妻子6人殺害事件」。小松博文被告(36)は逮捕後に持病で倒れ、心肺停止状態に陥った。そのために記憶が欠如したと主張、公判で無罪を求めている。果たして犯行当夜、何が彼を衝き動かしたのか? 小松被告はかつて「新潮45」に手記を寄せていた。ここに再掲する――。(※前篇と後篇の2回に分けて掲載。この記事は「前篇」の続きです。)

(以下は「新潮45」2018年5月号より再掲)

 ***

ICレコーダーを手に妻の浮気相手宅へ

 翌日(2017年)10月1日は日曜日で、妻も子供たちも家にいました。私は気分転換になるかと朝8時、散髪に行き、少しスロットをして、昼に家に帰りました。

 子供たちとシャボン玉や自転車などで遊び、視界には入るのですが、妻と極力顔を合わせないようにしていました。ようやく向き合えたのは夜の10時頃です。「張っていた糸が切れてしまった」、妻はそう口にしていました。

 私が男性に会うのはこの翌日です。2日前、妻の車を見つけた近くの駐車場に、私は車を停めていました。以前、妻とその客の話題になった時、乗っている車種も聞いていた。ここで待っていれば、きっと会えるだろうと考えたのです。

 そのうち、ケータイやアイコスの電池も減り、いくら妻の浮気相手とはいえ作業服の「ツナギ」はともかくクロックスのサンダルではあんまりだと考え、ドン・キホーテに向かいました。

 スニーカーに紐を通し、思い付いて購入したICレコーダーの使い方を練習して時間を過ごしていると、あたりがうっすら暗くなってきた頃、その車種が駐車場に入ってきました。向こうも見慣れない車が気になったらしく、チラチラ車中からこちらを見ている。私は妻に〈残業になるので子供たちの夕食の準備、悪いけどお願いします〉とラインをし、ICレコーダーの「Recボタン」を押して車外に出ました。

 私は名乗り、「妻のことで」と声をかけました。

「ここじゃなんだから、部屋に上がって」

 男性はそう言い、肩で風を切るような感じで歩いていくその後を、私は付いていきました。1LDKのアパートで、玄関を上がるとゴルフセットがあり、奥がリビングと寝室です。相手の男性はイライラしてますとアピールするかのように、テーブルの上にあった酒の缶をゴミ袋に放っていました。

「店ではバツ2で子供5人と聞いていたけど、最近、初めて家に来た時に、実は夫がいると言う。それを聞いたから手は出していない」

「引いてもらえませんか。頭でも何でも下げます」

「あんたも男なら、嫁さんが別れたいって言ってんだから別れてやりなよ」

 男性の話の端々には、「兄貴」とか「稼業」とかの単語が出ていました。後に仕事で世話になっている知人に聞いたところでは、「団体に所属しているわけではなく、仕事は土建業」でしたが。これ以上話しても無駄と思い、私はその場を離れました。

妻の欄が埋められた離婚届

 その夜も妻と話をしました。と、突然、妻は目の前で男性に電話を入れたのです。

「私のことはもういいですから。今までありがとう」

 そう伝えると妻は電話を切り、「これで彼には関わることはないから、これでいい?」と、テーブルの上に離婚届を置きました。妻の欄はすでに埋まっていた。私が拒むと、妻は荷物をまとめ始めました。零時過ぎ、外は雨だった。玄関に向かう妻のバッグを私は引っ張り、妻はよろけて体勢を崩しました。壁にぶつかった音で、長女が起きてきました。

「パパ、パパ。ムウちゃんとお話ししよ」

 そう口にした夢妃(むうあ)は、ボロボロと涙を流していました。私は「サインするから今日は出ていかないでくれ」と妻に頼み、リビングで離婚届を書き始めました。夢妃は私の隣から、いつまでも離れませんでした。

 養育費は月5万~10万円、子供にはいつでも会わせるという条件も決め、午前3時、離婚の方向で話は付いたのです。

 妻から一件のラインが届いたのは、その日の昼です。

〈離婚しなくてけっこうです〉

〈昨日、どんな思いでサインしたと思っているの?〉

 そうラインしましたが、返事はありません。私は車を男性のアパートに向けて運転していました。そこに妻の車がないことを祈りながら。

 駐車場に、妻の白いエルグランドはあり、運転席には妻が座っていました。「彼に電話してただけで家には上がってない」という。昨日、目の前で男性にかけた電話も、さっきのラインの文面も、訳がわからなくなり立ち尽くしていると、アパートから男性が出てきたのです。妻は車を発進し、いなくなりました。

 男性の家に上がり「あなたと妻で絵を描いているんですか」と疑問をぶつけると、それは否定する。私に頭を下げ、「恵さんの気持ちを確かめたい」という。そのうち私を牽制するように「兄貴分」に電話をし、いつ来るのかと私も思っていたのですが、結局、断りの電話を入れていました。

スマホに残された検索履歴 “一家心中、殺し方…”

 この時、私はすでに仮住まいの準備をしていました。知人に相談し、隣町の漫画喫茶のオーナーを紹介してもらったのです。この日の夕方、夢妃の塾の帰り道、挨拶に行きました。「明後日の夜からお世話になります」と伝え、帰宅すると、義母が来ていました。妻を説得に来てくれたのだと、夢妃とリビングに向かいました。

 義母からは、この2日間の出来事を立て続けに質問されました。そして終いには「また暴力をふるったって?」と言う。相手の男性を妻は「相談相手」と義母に説明していたようでした。が、夢妃もそこにいて、私は事情を説明する気にはなれませんでした。

 後に刑事さんに聞いたところでは、この時分から私はスマホで、「自殺、一家心中、殺人、殺し方」などと検索を始めていたそうです。私はまったく記憶がないのですが。目の前で妻と義母が談笑しながらコーヒーを飲んでいるその時も、私は黙ってそうしたサイトを見ていたのでしょう。

 義母が帰り、私が「○○さんに、二人で話をさせて欲しいと頼まれた。俺はOKしたから」と言うと、妻はすでに電話で聞いて知っていた。「私もいろいろ気持ちを確かめたいから、今から行って来ます」と、化粧をし着替えを始めました。妻が出て行く姿を見たのが、午前零時です。

 気が付くと、朝でした。目の前には長男の幸虎(たから)が座っていた。妻は昼の仕事に出掛けるために化粧をしている。「何時に帰ってきたの」「4時頃」。言葉を継げず私が黙っていると、妻はこう口にしました。「どうなるか分からないけど、彼と頑張っていくことにした。でも子供にはいつでも会いに来て」と。

〈夜、ちゃんと話すよ。朝、忙しい時に話すことじゃないから〉と、妻からラインが来たのはその日の昼でした。私は仕事を休んで家にいたのですが、何か落ち着かなかった。まもなく原因がわかりました。それは、洗濯物の匂いだったのです。男性の部屋に漂っていたのと同じ。その匂いは今でも鼻にこびり付いています。

 あてもなく家を出て、変な考えをどこかへやろうと海沿いの道を車で流しました。とにかく気を紛らわせようと、サイトで見つけた出張マッサージを東海村のホテルで呼んだのですが、何もしなかった。港の近くにあるスロット店に入っても続かず、メダルを残したまま店を出ました。

 その通り沿いには市内でたぶん一番大きいホームセンターがあり、そこにふらっと入ったのです。そうしなければ、私は事件を起こさなかったのかもしれません。何かひとつでも、タイミングがずれていれば。

 ホームセンターを歩いていると、老人が店員に「劇薬出してもらえる?」と尋ねている声が後ろから聞こえ、私は薬なら楽に死ねるのではないかと考えました。農薬のコーナーを見に行くと、危険性が高い薬は鍵のかかった棚に入れられていて、購入には身分証と印鑑が必要と書いてありました。そんなものは持ち歩いていませんでしたし、そもそもどれくらい飲めば死ねるのか分からない。

 頭に浮かんだのはロープでした。ネットにも、自殺の方法として一番多く出ていました。「この太さなら俺の体重でも大丈夫だ」とナイロンでできた「トラックロープ」を手に取ったのですが、気が付くと台所用品売り場にいたのです。首を吊る勇気がない時は、自分で首を刺せば一瞬で死ねるだろうと考え、包丁を見つめていた。刃渡りのある柳刃包丁を選び、ロープと一緒に無人のレジで精算を済ませ、車に戻りました。

 私は何か、「お守り」を手に入れたような気がしていました。私は孤独だといった考えや妄想が、身体から抜けていくように感じたのです。自殺しようと考える反面、私はビビリだし、そんなことできるわけがない、明日の夜にはアパートを出て漫画喫茶に行き、生活していくんだろうなと考えていました。

 数日ぶりに、何か食べたいという欲求が起こりました。この3日ほど、胃薬ばかり飲んで、私はほとんど食事をとっていなかった。目についた店でラーメンを口に入れたのですが、気持ちが悪くなり、コンビニのトイレで吐きました。

「パパ、えーんしてるね」

 この後、私はいったん帰宅し、携行缶を積んでガソリンを買いに行っています。スタンドに向かう車中、いろんなことを思い出して私は涙が止まらなくなりました。2千円分を購入し帰宅すると、玄関外に置いてあったタンクに入れた。ケースから出した包丁とロープを押入れの上の天袋にしまい、いや隠したと言ったほうが正しいかもしれませんが、その後、妻にラインを送りました。

〈ひとつだけお願いがあります。俺が出ていくまではもうギスギスするのは止めて、前みたいに仲良くしてほしい〉

 妻からはすぐに返事が来ました。

〈ご飯食べられるの?〉

〈多分…〉

〈食べたいのがあれば作るけど〉

 私は付き合い始めて妻が最初に作ってくれた「焼うどん」と、卵焼きをリクエストしたのです。

 7時少し前に妻と下の子四人が帰って来て、私は子供たちと遊びながら、台所に立つ妻の後ろ姿を見ていました。我が家では食事の時間はテレビを消します。いつものように机を囲んで食事をしていたのですが、私は焼うどんを口にして涙が止まらなくなってしまった。顔を手で隠しながら口に運んでいると、子供たちも気づき始めました。

「パパ、どうしたの?」

「パパ、えーんしてるね」

 長女の夢妃以外は理由がわからず、無邪気に尋ねてくる。私は急いで食事を済ませ食器を下げると、外に出ました。アイコスを吸いながら、気持ちが落ち着くのを待っていたのです。

 部屋に戻ると妻から勧められ、子供たちひとりひとりを風呂に入れました。明日からは私はいないことになる。「俺は明日、この家を出てひとりで生活していくんだな」と、そう思っていました。その後、妻と二人になりました。私は冗談交じりに口にしました。

「昨日は熱い夜を過ごせたか?」

「何もするわけないでしょ」

 その先に話が進みません。

 と、妻はだんだん呼吸が荒くなり、過呼吸の発作に陥りました。私は紙袋を渡し、妻はそれを口に当てて呼吸をしていました。前の夫と別れた頃から出る発作です。ゆっくり息を吐かせ、落ち着くのを待ちました。

 そのうち妻は私の布団に入り、横になりました。自分の布団で寝なよと言っても、私の横から動かない。そのまま寝たのですが、妻の寝顔を見ていると、とても心中なんてできないと、改めて感じたものです。妻に寄り添って眠りについたのは、この日が最後になります。

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