「妻が最後に発した言葉は、娘の名前でした」 “無罪主張”の日立妻子6人殺害の父親が寄せていた手記

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子供たちの顔を見た最後

 家族の中で一番早起きなのは、決まって長男の幸虎でした。10月5日のその朝も、一人でお気に入りのアニメを見ていました。夢妃は「朝練」があるので、7時20分、私が学校まで送って行く約束になっていました。妻に欠勤を隠している手前もあり、私は作業服に着替え、娘を待っていると、妻が話しかけてきたのです。

「今日は一度、帰ってくるよね。昨日は話、できなかったし」

「荷物もあるし、今日は給料日だからお金も渡したい。だから戻ってくるよ」

「今晩までいたら?」

 私は「わかった」と返事をし、夢妃と幸虎を小学校まで送り届けました。夕方、漫画喫茶の1カ月分の宿泊費「4万3千円」を高萩まで先払いに行く以外、これといって用はなく、家でゴロゴロしたり、駅前でスロットをしたりして時間を潰していました。

 高萩から日立への車中、私は夢妃と幸虎と交わした「運動会で頑張ったから何か買ってあげる」という約束を思い出します。昼の仕事プラス夜はガソリンスタンドで働くことも決めていたので、子供たちにもこれからなかなか会えなくなる。みんなに一つずつプレゼントをしようと考え、私は駅前にあるイトーヨーカドーに行きました。

 夢妃には「シスタージェニー」の紺色のカーディガンと長袖Tシャツ、幸虎には前から欲しがっていたニンテンドーの「マリオカート」を。次男の龍煌(りゅあ)にはサイレンが鳴る消防車の、頼瑠(らいる)と澪瑠(れいる)には「はとバス」のおもちゃを買いました。

 7時過ぎ、帰宅すると、妻は台所で夢妃と食事の準備をしているところでした。私は幸虎を呼び、「これから仕事でしばらく帰って来られないんだ」と告げました。

「この家で一番大きな男の子はタア君だよね? パパの代わりにママとムウちゃん守ってくれないか。リュウとライとレイの面倒もちゃんと見るんだぞ」

 幸虎は「分かった」と照れながら言い、私がプレゼントを渡すとニコニコしていました。次男の龍煌には、恵と夢妃の言うことをよく聞くようにと約束の指切りを、頼瑠と澪瑠は膝の上に乗せ、「ママたちの言うこと聞いて、仲良くしてな」と伝えた。最後に夢妃を呼ぶと、夢妃は事情を子供なりに理解しているようでした。

 カーディガンを袋から出し、「160センチのサイズだからしばらく着られるね」と話していると、横から妻が手を出して、カーディガンに袖を通したのです。

「服がのびるから、マジやめて」と夢妃は真剣に怒っていましたが、妻は笑みを浮かべたまま、くるくると何度も回ってみせて、みんなで笑い合った。「俺がしっかりしていれば」と、私は一緒に笑いながらも、後悔を感じずにはいられませんでした。

 この日は下の子三人が、私の脇から離れませんでした。確かに「この家族を誰にも渡したくない」という感情は強かったけれども。子供たちは、何か異変を感じていたのかもしれません。それとも私としばらく会えないから、側にいたかっただけなのか。

 8時過ぎ、夕食がテーブルに並び始め、私は驚きました。私の大好物ばかりだったからです。鶏肉と鶏皮、砂肝の煮物、エビフライ……。「いただきます」を言って食べ始めると、子供たちが私をじっと見ている。どうしたのと聞くと、「パパ、昨日泣いてたから、今日もまた泣いちゃうんじゃないかって心配してる」との答えでした。

「今日は泣きません」

 私は苦笑いを浮かべ、そう言った。事情を知らない人からは、温かい家族のワンシーンにしか見えなかったでしょう。ほんとうに別れ話をしている家族なのか。私自身、“変なこと”は考えていなかった。でも私はブレーキの壊れた車で、だんだん急になる下り坂に確実に差し掛かっていたのだと思います。

 その後、下の男の子たちと風呂に入り、ひとりずつゆっくり頭を洗い、身体を洗いました。夢妃も疲れているからと、下の子たちと同じくらいの時間に寝てしまいました。「お休みのタッチ」を交わしそれぞれの頭を撫でたのが、子供たちの顔を見た最後です。のちに刑事さんから、下の子三人は私のあげたおもちゃを枕元に置いていたと聞いて、涙が止まらなくなりました。

 1時間ほどして、子供たちを寝かし付けた妻がリビングに戻ってきました。私は納得のいかないことも多くありましたが、話をしているうちに、迷惑もかけたし身を引こうと考えていました。

「子供たちを大切にしてほしい。恵を泣かせないでほしい。相手に頭下げて頼むよ」

 私と妻はそのうち、8年間の出来事を振り返っていました。私は感謝と反省を口にしていた。子供たちへのプレゼントのお礼を妻は言い、私は夕方下ろした給料と銀行のカードを手渡しました。

「夜のバイト代で生活するから、俺の昼の分の給料は使って。もし食えなくなったら、ご飯くらい食わせてね」

 妻は笑っていたように思います。

一睡もできず、その日の朝を迎えた

 気が付くと、時刻は午前零時になるところでした。妻は風呂に行き、私はコーヒーを淹れようと台所に行きました。するとテーブルの上にあった妻のスマホが視界に入ってしまった。目をやると、義母とのラインの画面でした。

〈じいじに話したら、さっさと離婚届、出しちゃえって〉

 私は混乱していました。続いて相手の男性からの履歴を見ると、すべての会話が消されている。友人とのラインでは、すべてが筒抜けになっていた。何をどう話したら、そうなるのか? 男性の存在は表に出ず、私一人が悪者になるのか?

 10月6日午前1時過ぎ、私が壊れ始めた瞬間だと思います。

 妻が風呂から出て来ても、私は何もなかったかのように接しました。妻は丈の長いグレーのパーカーに、金のラインが入った黒のジャージに着替えていました。ドライヤーで髪を乾かしながら、「あなたの布団で寝ようかなあ」と言う。「そんな情けは要らないよ」と私は答えました。時刻も2時近くになっていた。

「そろそろ寝るね、電気消す?」と妻。

「うん、おやすみ」

 これが妻と交わした最後の会話になります。

 私はテレビだけが点いているリビングにひとりいました。この8年間、妻や子供たちとのすべてがこのアパートにあり、私のすべてだった。明日からひとりぼっちだ、私の味方はひとりもいない、等々と考えていたと思います。それがだんだん、この思い出が詰まった家に誰も入れたくない、ではすべてなくしてしまおうか、私も死のう、という考えに傾いていったのです。

 私は目の前に、隠していた包丁とロープを並べていました。死ねば楽になれるかな、妻を殺せば誰の物にもならないな、残された子供たちはどうなる? 俺にそんな、人を殺すなんてできるはずがないだろう。さまざまな感情が、止めどもなく浮かんでは消えていく。それでもまだ理性があったのか、ひたすらアイコスを吸い、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせていた。ふと時計を見ると、3時半だったと思います。

 電灯を消しテレビだけ点いている暗いリビングで、布団の上に座り、目の前には包丁とロープという姿は、思い返すだけで私自身が怖い。あの時、誰かに電話していたら、妻と一緒にあのまま寝ていたら、今、私はこの独居でこの手紙を書いてはいなかっただろうと思います。

 私はだんだん焦ってきました。天使と悪魔が囁くと譬えますが、実際そのような感じでした。

「どうすんだ」「自分だけ死ぬか」「妻を殺して、お前も後から死ぬか」「残った子供たちはどうする」「みんななくしてしまえ」「お前みたいな意気地なしは、結局、何もしない。朝には出ていくんだ」

 そうしたやりとりを自分としていたのです。

 その間、何度か寝室の入り口まで行き、部屋の中を見ていました。カーテンの隙間から少し月明かりが差し込み、六人が横になっている姿がぼんやり見えました。和室6畳間の右隅に妻、左はじには毛布に包まった夢妃、間に幸虎、龍煌、頼瑠、澪瑠が、こちらに足を向けて眠っていた。リビングに敷いてある自分の布団に戻り、アイコスを吸いながらテレビに目をやると、画面左上に時刻が出ていて午前4時を告げていました。

「あと1時間もすれば幸虎が起きてくる。私は思いとどまり何もせず、この家を出ていくんだ」

 そう自分に言い聞かせていました。

 それでも「妻を殺せば、ずっと私の奥さんだ」という考えも拭えず、「恵が死んで俺も死んで、5人の子供の面倒は誰がみてくれるんだ」と考えました。義父母に育てられる訳がない。施設に連れて行かれて、「お前たちは殺人犯の子供だろ」と、一生十字架を背負わされる。それなら一緒に、という思いに陥ってしまったのです。

 古い記憶が蘇っていました。私が子供の頃を過ごした地域には、ある児童養護施設がありました。友人にはその施設の子も何人かいて、親が犯罪者だと噂されている子たちもいたのです。

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