「埼玉愛犬家連続殺人」2人の子供が明かす両親の意外な素顔 「私には甘い優しい父親でした」

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知らされなかった両親の逮捕

 和春は、成田空港から離陸する飛行機の中にいた。中学を卒業した後、前年の10月からアメリカのカリフォルニア州デイビスの学校に留学していた。正月を実家で過ごし、再び渡米するところだった。

「後から聞いたんですけど、お袋は逮捕されるのが分かってたらしい。それで逮捕の時間を、自分が飛行機に乗った後にしてくれって頼んだらしいんです。張り付いてた警察の人に言ったのか、どうやったのかは分からないですけど。自分が戻ってこられないように、そうしたって聞きました。実際、逮捕の時間は、自分が乗った飛行機が飛び立ってすぐなんですよ。確かに、その前にニュース聞いちゃったら、飛行機乗らないで戻って来ちゃったでしょうからね」

 一方、関根は前年に江南町(現在は熊谷市に合併)に新築した自宅兼犬舎で、一人でいるところを逮捕された。前年5月より、ここで関根と風間は同居を再開していた。

 同じ1月5日、中岡の妻が保釈されている。中岡は、1月8日に逮捕された。

2人の子供が事件後に受けた差別

 和春は、3カ月ほどでアメリカから戻ってきて、一旦は親のいなくなった自宅に身を落ち着けた。風間が最も信頼していた元従業員と一緒に、残された犬たちの面倒を見るためだった。

「知り合いのつてを辿りながら、ディスカウントショップで働いたり、鳶とか型枠大工とかいろいろやりましたね。親のこと言われて嫌んなったり、遊びのほうに走って辞めちゃったこともあります。大叔母さん(風間の叔母)のところに世話になったり、入った寮を仕事辞めて出て、友達のところにやっかいになったり、住むところも転々としてましたね」

 親の事件のことを知っても、変わらずつきあってくれる友人がいるので、熊谷から遠くには離れたくなかったという。

 希美は風間の母親と一緒に、東京郊外の風間の妹の家に身を寄せた。

「高校生の時、おつきあいを始めた方に、母の話をしたことがあります。すると、『人間は一度罪を犯したら、立ち直れないんだ』って言われた。私も事件のことをよく知っているわけでもなく、だから、その人が信じてくれるわけもないんだけど、受け容れてはもらえないんだなあって感じました。だからもうそれからは、仲のいい友達にも話せませんでした。

 高校を卒業して、福祉系の専門学校に進んだんです。この人なら分かってくれるかもしれないって人がいて、母のことを話しました。その人は自分の父親に話して、母が主犯格だ、って言われたらしくて、違うよっていくら説明しても分かってもらえなかった。やっぱり隠さなきゃいけないって、強く思いました」

 希美はたまたま、中岡の手記が載った週刊誌を目にしたこともあった。そこには、風間が演歌を口ずさみながら遺体を切り刻んでいた、と書かれていた。これだから、周りの誰も事件のことを教えてくれないのだ、と心を閉ざした。

 01年、浦和地裁で関根と風間に、殺人と死体損壊遺棄で死刑判決が下った。05年には、東京高裁で控訴棄却となり死刑判決が踏襲された。

「人も殺してないのに、何で死刑判決出んの?」

 専門学校を卒業して、介護の道に進んだ希美は、事件のことを自ら調べ始めた。

「博子さんは無実だと思います」

「人も殺してないのに、何で死刑判決出んの?」

 公判記録をたぐっていて、証人として出廷した中岡が、そう発言しているのに出くわした。中岡の供述により、風間博子は殺人罪で起訴されたのだが、その本人が後の裁判では否定しているのだ。希美の心の扉が開いた。風間が演歌を歌いながら遺体を解体したというのも、事実ではないと中岡は法廷で明かしていた。

 風間自身は、逮捕から一貫して、殺人については否認してきた。だが、全面無罪を主張しているわけではない。

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