指導者で巨人復帰の悲願達成、「桑田真澄」の人間力を磨いた30億円借金問題

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読売新聞との“確執”

 THE PAGEの記事に戻ると、《「いまさらなぜ」》と首を傾げた広岡は、“桑田コーチ誕生”には期待も寄せているという。

《「彼の手腕には注目をしている。彼は苦労して自分自身を磨いた。早大や東大の大学院が教えているような野球理論で勝てるような簡単なものではないが、どこまでやるか、どんなアドバイスを送るかに期待感はある」》

 理論派の広岡が期待するほどだ。他球団が指導者としての桑田を評価し、招聘しようと動いたのは当然のことなのかもしれない。

 だが、肝心の巨人は、なぜか距離を置いていた――こんな経緯が浮かび上がる。

「これまで巨人で“桑田コーチ”や“桑田監督”が誕生しなかったのには理由があります。現役時代に多額の借金を抱え、巨人の親会社である読売新聞が尻拭いをしました。その経緯の中で、関係が悪化してしまったのです」(前出の記者)

 そもそも、かつて桑田に対する世論は厳しいものがあった。原点は1985年のドラフト。清原和博(53)は巨人を志望し、桑田は早稲田大学教育学部への進学を表明していた

スキャンダルの多発

 だが、巨人は桑田を単独指名し、桑田は巨人に入団。一方、ドラフトで西武が決まった清原は涙を流し、これで世論の風向きが決まった。

 入団後も桑田には醜聞が相次いだ。1989年にはスポーツメーカーからの裏金疑惑が浮上し、巨人は桑田に罰金200万円を科した。90年には、いわゆる“暴露本”が出版され、野球賭博の関与を疑う報道が相次いだ。

 当初は疑惑を否定していたが、後に賭博罪の前科を持つ人物から金銭などを受け取っていたことを認めた。巨人は再び登板禁止1か月、罰金1000万円の処分を下した。この頃、桑田を嫌うプロ野球ファンは決して少なくなかったのだ。

 裏金や不適切交際の問題が燻っている中、週刊現代は91年1月1日号に「プロ球界のバブル紳士 桑田真澄が『大借金』で火ダルマ! 『投げる不動産屋』の悲鳴が聞こえる」との記事を掲載したのだ。

 バブル経済により、全国の土地価格は上昇していた。桑田も首都圏の土地に投資していることは既に複数のメディアが報じていた。「投げる不動産業」という異名も定着していた。

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