無観客では何の価値もない…選手村村長「川淵三郎氏」が語る東京オリンピック

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東京五輪開催で日本社会にスポーツマンシップを!

川淵 ある時、テレビの番組で見たんだけど、イングランドの子どもたちがサッカーやっているところに誰だったか日本のサッカー関係者が行ってね、子どもたちに質問した。

「フェアプレーってなんだか知ってる?」、そしたらみんなが口々に、「審判の言うことを聞くこと」「ルールを守ること」「仕返ししないこと」って答えたから僕はビックリしちゃって。ちっちゃな子どもでも、それをすかさず言えるってことは、四六時中指導者に言われているからでしょう。イングランドの指導者は、スポーツマンシップを子どもにしっかりと教えているんだな、さすがにスポーツの国だなと感心した。

小林 イギリスやドイツでは、クラマーさんの考えが共有された指導の基本なんですね。

川淵 去年ラグビーW杯があったでしょう。イングランドが決勝で負けて、選手がどういう態度でメダルを受け取るのか、僕はすごく興味を持って見ていたわけ。僕もJリーグやサッカー協会でしょっちゅう選手にメダルを渡していたでしょ。番狂わせを起こして決勝戦にまで進出したけど負けてしまった弱小チームの選手なんかはキチっとしているんだけど、勝つ気で決勝を戦って負けてしまったというチームの中には、ふてくされた態度ですぐメダルを首から外す選手もいる。ヴェルディでも柱谷(哲二)あたりはきちんとしていた。まあ、人にもよるんだけど。すぐ首から外す選手がいると頭に来てね。

 それでね、スポーツマンシップの国のラグビー・イングランド代表が準優勝したあと、どんな態度を見せるのか、現場でずっと見ていた。選手の中にはすぐ外すのもいた。でもヘッドコーチのエディ・ジョーンズだけは指導者なんだから、メダルをもらって、胸にちゃんとつけたまま所定の位置に戻るだろうと思っていた。すると、表彰台を降りて戻る途中、スタンドの観客からも見える位置で、しかもテレビカメラが追いかけているのに外してズボンのポケットに入れた。僕は“怒り心頭”だったね、すごく不愉快になった。何がイングランドのスポーツマンシップだ、指導者がこれかよ、相手に対するリスペクトがまったくないじゃないかと……。あんなにがっかりしたことはない。

小林 あの態度にはイングランド国内でも批判が多かったようです。

川淵 で、その後ね。1月に全国高校サッカー選手権があった。これが話の続きなんだけどね。ずっと見ていて、今年は青森山田がきっと優勝するなと。圧倒的に強かったからね。決勝で静岡学園と青森山田が戦った。案の定、青森山田が先に2点入れたので、このまま終わりだなと思ったら、なんと静岡学園が3点入れて、3対2で逆転勝ちした。この時にいちばん心配だったのは、青森山田のチームが表彰式でどういう態度を見せるのか。僕はテレビで青森山田の選手が映らないかずっと見ていた。そしたらね、静岡学園がメダルをもらっているとき、青森山田の選手たちは気を付けの姿勢をして拍手していた。もう、胸が熱くなった。やるなあ、いい指導しているなあ、この監督はって。青森山田の選手たちは『グッドルーザー』の最たるものだったね。ラグビーW杯の後だったから対照的だったんだよね。イングランドのチームと青森山田高校のチームが。

小林 川淵さんはそれをツイッターで発信された。

川淵 ラグビー・イングランド代表のことを僕がツイートしたら、「負けて悔しいから当然だ」と反論があった。そうじゃない、負けて悔しいからこそ相手に対するリスペクトがなきゃいけない。悔しさをこらえて、相手に敬意を表して、「次の機会には絶対勝つぞ」と、そういう思いを持つのがグッドルーザーなんだよ。ベンチに戻って、見えないところで悔しさを露わにしようが構わないけど、TPOをわきまえる、それが大事なことなんだ。あの時のイングランドは、僕からしたら、スポーツマンとしての必要条件である「グッドルーザー」の精神に欠ける。完全に失格なんだよね。

 スポーツマンシップというのは、スポーツマンの生き方に限らず、一般社会での生き方にも直結する。日本中に「スポーツマンシップとはこういうもんだ」と知らしめたいね。

小林 スポーツに打ち込むのは勝利者になるためでなく、勝負を通してスポーツマンシップを学ぶため。それは明快ですね。私が幼いころからずっとスポーツに魅かれて来た土台にあったのは、スポーツマンシップへの憧れだったかもしれません。

IOCは勝利至上主義、商業主義のしがらみから脱却を

川淵 とりあえず金メダル、どんな汚い手を使っても金メダルを獲ればいい、そういう言い方が勝利至上主義であってね。たとえば子どもが100m競走して絶対勝ちたいという気持ち、これは絶対にある。勝ちたい気持ちがあってがんばるわけだから。

 子どもたちがスポーツに限らず勉強での競争も含めて、「なんとか勝ちたい」「一番になりたい」と思って努力することはこれ大事でね。どんな弱い子でも勝ちたいのは勝ちたい。びりっかす同士で走っても勝ちたい。勝ちたいという気持ちは大事なんだよね。それを勝利至上主義とは言わない。勝てば何をしてもいいというのが勝利至上主義。子どもの勝ちたいという気持ちは絶対になくてはならない大事な気持ち。ここをどう差別化するのかな。

小林 商業化が進む中で、勝利や金メダルというわかりやすい興奮が最高の価値みたいに設定されてしまったんですかね。

川淵 「プレーヤーズファースト」だなんてよく言うなあ、というのが正直なところでね。とにかくお金を集めるために、テレビ局にとっていちばんいい時間帯に全世界に中継する。そのためにテレビ局の言うことを全部聞くのは絶対にプレーヤーズファーストじゃないよね。

 そのお金を世界各国に配分してスポーツ発展のための資金にする、地域のスポーツ発展に貢献するというのが大義名分になっているんでしょ。それはどう考えても納得がいかないね。スポーツを普及させる方法はほかに考えればいい。周辺の国がバックアップするなり、地道に育てていけばいいわけでね。

小林 オリンピックはどんどん肥大化しています。コロナ禍があって今年は延期せざるをえなかった。この機会にオリンピックを見直したらいいと思います。

川淵 競技も増やすばかりで、やたらお金がかかるのは問題だよね。例えばリオデジャネイロ、アテネもそう、オリンピックが終わった後、施設が草ぼうぼう、財政が疲弊してどうにもなんないなんて。事前に調査した上で決めているとは思えない。そういうところは、東京オリンピックを通じて見直すべきだと思っている。あくまで個人的な意見だけどね。

小林 若者に人気のあるアーバン系のスポーツもどんどんオリンピックに取り込みました。

川淵 僕は基本的に、昔から伝統的に受け継がれてきた競技を重視したらいいと思う。若者に人気のある新しいスポーツの大会は別にやればいいんだからね。オリンピックの精神はね、世界各国の若者が集まって交流が盛んに行われることで世界平和につなげていこう、それが最大のオリンピック精神でしょ。競技数や人数が多ければいいわけじゃない。選りすぐられた伝統的なスポーツだけで選手間の交流をしっかりとやっていく。それがオリンピック精神にもとるとはまったく思わないよね。若者に人気があるから、その種目を選ぶって姿勢はどうも抵抗がある。

小林 川淵さんがIOCの会長なら、あるいはオリンピックのプロデューサーなら、競技をもっと限定した形でオリンピックを自立してやっていく方法はあると思われますか?

川淵 あると思うよね。いまは基本的にはアメリカのテレビ局から相当なお金をもらうという大前提で進んでいる。もしアメリカのテレビ局が、その時間帯では放送できない、中継を全部やめると言うなら仕方がない。他にどうやって収入を集められるか考えればいいし、集められる範囲内でやればいいんだ。オリンピック憲章は、派手に豪華絢爛にやれなんて言ってない。世界の若者たちが一堂に会してお互いに交流することで世界平和を構築するのが原点であるならば、いまのやり方を続ける必要はまったくないと思う。

小林 サッカー界も商業主義の影響はありますよね。

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