文豪ヘンリー・ミラー、イタリア大富豪…国際結婚した日本人女性の悲劇

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ミラノ市内だけでも所有する物件数が5000と言われる

 のっけから余談であるが、ローマからパルマへ移籍した中田英寿の移籍金は32億円である。移籍金というのは選手個人に入るわけではないけれど、それにしたって凄い。では、イタリアで一番金持ちの日本人は中田かというと、さにあらず。半ズボンをはいてボールを蹴っていても、そこにはおのずと限界がある。大金持ちになるには、何たって大金持ちと結婚するのが一番早いと言える――。亡夫ヘンリー・ミラーとの日々を語るホキ徳田など、国際結婚を選んだ日本人女性の悲劇。

(※「週刊新潮」2001年8月2日号に掲載された記事を編集し、肩書や年齢などは当時のものを使用しています)

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 イタリアで最も金持ちの日本人――疑いもなく、それはベニスの大富豪の未亡人、チェスキーナ洋子である。

 1976年10月、マリオ・チェスキーナという人物が、ミラノの事務所を出たまま行方不明になり、身代金を要求する電話が入った。誘拐だ。

 これが日本なら、捜査1課の刑事たちが総動員で逆探知、張り込み、待ち伏せ、尾行……あらゆる手を尽くして、ひたひたと犯人を追いつめていくところだが、何しろそこはイタリアである。

 アモーレの国である。スピーディーなのはサッカーの試合くらいのもので、犯人側との交渉は翌年の春まで延々と続く。

 一説に19億リラ(当時のレートで約5億円)もの身代金が犯人側に支払われたとされるが、これではマリオが戻らなかったのも無理はない。

 マリオは高名なチェスキーナ4兄弟の3男であった。

 父ガエターノが第一次大戦中に医薬衛生品の会社を作り、包帯やガーゼを軍に売りまくって財を成したのが始まりというから、さほど旧い歴史のある一族ではない。

 とはいえ、その資産は莫大だ。ミラノ市内だけでも所有する物件数が5000と言われる大地主で、大きなベネチアングラスの工場の他に、レストランやホテルなども経営するイタリア屈指の大富豪である。

約320億円という巨額の遺産に絡んだ妻でハープ奏者の永江洋子

 誘拐事件から5年後の81年、兄弟は裁判所にマリオの死亡宣告を申し出る。

 認められればマリオの遺産はダンテ、レンツォの兄弟に配分される運びとなるはずだったが、同年、長男のダンテが死去。翌年には2男レンツォも相次いで死去(4男ブルーノは46年に事故死)。

 このレンツォの妻が、ハープ奏者の永江洋子である。

 何しろ総計3000億リラ(約320億円=当時=)という巨額の遺産である。

 4兄弟の没後、遺産争いが起きたのも当然であるが、その話をする前に、昭和7年、熊本生まれの永江洋子が、「ベニスのシンデレラ」と呼ばれるまでになった過程を在イタリアの事情通に解説してもらう。

「芸大のハープ科で学んでいた彼女は、政府給費の交換留学生制度に応募し、2年間の短期留学生として60年にベニスにやってきたんです。すでに日本で結婚していたのですが、留学のために敢えて離婚しています」

「留学生活も残り半年となった頃、カフェにいたところをレンツォに見初められたものの、結婚したのは知り合ってから15年後の77年。前妻との離婚後、独身を通してきたレンツォですが、その前年に起きた弟の誘拐に打撃を受け、家庭愛を求める気持ちから71歳にして再婚に踏み切ったのです」

 この時、洋子は45歳。恐らくは最もリッチな在外邦人となった彼女だが、4兄弟の死去により、遺産争いが勃発。

 相続人となったのはダンテの息子リカルドと娘マリーナ、それに洋子の3人であった。

 夫の死の2日後、洋子はレンツォが記したという遺言状を公証人に渡す。

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