文豪ヘンリー・ミラー、イタリア大富豪…国際結婚した日本人女性の悲劇

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この時、ミラー76歳、ホキは29歳。

 ここは東京・港区飯倉片町の『ボストンカフェ』である。

 亡夫ヘンリー・ミラーの小説のタイトルをそのまま店名にした『北回帰線』を閉じ、ホキ徳田がいまやっているのがこの店だ。

 夜が更けると、ホキがピアノで弾き語りをする。ただし、気が向けば、の話だが。この夜は気が向いたらしく、『ルート66』などを演っていた。

「私、フォーカスに11回も出て、最多出場らしいわ」

 そんなことを言うだけあって、ホキ徳田は実に破天荒な半生を送ってきた。しかし、何といっても世界中を驚かせたのは、1967年のヘンリー・ミラーとの結婚だ。

この時、ミラー76歳、ホキは29歳。LAの知人宅で小ぶりなウェディング・ケーキにナイフを入れる二人は、まるで好々爺とその孫娘といった感じである。

 65年、二人はビバリーヒルズの映画スター御用達の医師宅で初めて顔を合せ、ピンポンをする。

 有名な作家と聞かされたものの、ホキにとってミラーは、この時点では単なるジイさんでしかなかった。

「それからミラーさんの手紙攻勢が始まったの。ラブレターは300通くらい受け取りました。日に何通も届いたこともあったんです」

「その一方で、彼は私のことを、ボクのフィアンセだとあちこちで触れ回っていました。やはり前々世紀の男だったんですね。きっとプロポーズをすればモノになると思っていたんでしょう」

見たこともない文学史に載っても仕方がないと思ったけれど

「でも、あれだけ手紙を書いて、私が歌っていた店へ毎日顔を出して、本当にマメでしたね。男がモテる条件として、“1マメ、2チョロ、3、4がなくて5に顔”って言いますもんね。ミラーさんは本当にマメで、常に私の周りをチョロチョロしていました」

 2年近く逃げ回っていたが、ある時、東京で仲良しだった作家の藤島泰輔がLAに遊びに来た。

「藤島さんは、ヘンリー・ミラーは大変な作家だ、世界文学史に日本人の名前が載るなんて日本のためにもなる、結婚して幸せにしてやれ、みたいなことを言うの」

「見たこともない文学史に載っても仕方がないと思ったけれど、2年のワーキングビザの期限も切れるところだったし、アメリカへ来て1日も休まず『弾き語り』をしてたのもやめたかった」

「ミラーさんと結婚すれば夢のパリに新婚旅行にも行けるし、彼の体は随分悪かったし、あと1、2年と本人も言っているし、最後の結婚になると思えるし」

「そして、大勢のミラーファンの強い勧めもあったことだし、と深く考えず結婚したわけです。まさかそんな二人の結婚が、あんな大騒ぎになるとは思ってもいませんでした」

 47歳も年の離れた文豪と東洋人の結婚は、AP通信などの配信によって世界的なニュースになり、2人は行く先々でもみくちゃにされた。

 全編セックス描写の小説を描き、「パーティーではいい女から順番に声をかけていた」という20世紀の文豪ヘンリー・ミラーは、生涯酒と女を愛し続けた一個の巨人であった。

 が、巨人も寄る年波には勝てない。いま風に言えばEDである。当然ながら世間の興味もそこに向かった。

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