日本の強みを残した「デジタル化」を図れ――小林喜光(三菱ケミカルHD会長)【佐藤優の頂上対決】

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 コロナの感染拡大は、日本社会が抱えるさまざまな問題を炙り出した。中でもはっきりしたのは、デジタル化の遅れである。この課題に日本はどう向き合えばいいのか。かねて日本を「茹でガエル」に譬え、徹底した変革を訴えてきた財界のご意見番が、これからの日本が進むべき道を示す。

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佐藤 ともにイスラエルに縁がありますので、小林会長にお会いできるのを楽しみにしておりました。かつてヘブライ大学に留学していらっしゃいましたね。

小林 大昔のことですよ。1972年に物理化学科に留学しました。

佐藤 私は外務省時代、カウンターパートがイスラエルの諜報機関モサドでした。また、いまはなくなりましたが、旧ソ連からユダヤ人を出国させるナティーブという秘密組織とも付き合いがありました。

小林 私がいた頃、ずいぶん多くのロシア人がヘブライ語を学んでいたのを覚えています。

佐藤 私は逮捕されたのもイスラエル絡みの話です。2000年4月にテルアビブ大学主催で「東と西の間のロシア」という学会が開かれたんです。私はそこへ日本の学者や外交官を連れて行ったのですが、学会は表向きの名目で、各国の政策に影響を与える人たちを繋げるのが目的でした。当時は北方領土問題が動き出し、鈴木宗男さんが小渕恵三首相の特使として、大統領に当選したプーチンに会いに行く直前です。だからたいへん重要な仕事だったのですが、それが2年後に東京地検特捜部に摘発されてしまった。

小林 大変でしたね。

佐藤 特捜部は最初、私がイスラエルへ、女連れで観光旅行に行ったと思っていたんです。それもゴラン高原に。

小林 はははは(笑)。あんな危険なところに観光旅行ですか。

佐藤 地雷があちこちに埋まっているところへ観光に行くはずがない。特捜部には、イスラエルにロシアからの移民が大勢いることなど、ロシアとの関係をイチから説明しなければなりませんでした。あの時、イスラエルに招待してくれた中心人物がロシア外交の専門家、ガブリエル・ゴロデツキー氏で、彼は私の裁判にも出てくれました。その後、オックスフォード大学の研究員となりましたが、いまも付き合いは続いています。

小林 私も下宿していたところの家族や、大学で一緒に研究した同僚とはまだ付き合いがありますね。娘さんが日本に来たりする。彼らはほんとに人懐っこい人たちだよね。

佐藤 小林会長は、そもそもどうしてイスラエルを留学先に選ばれたのですか。

小林 学生時代は学園紛争で、東大4年の時、安田講堂占拠事件がありました。私はそれが馬鹿馬鹿しくてね。あんなところでゲバ棒振っている暇はないな、と思っていました。その後、大学院に進んでマスター(修士)2年の頃、イザヤ・ベンダサン、つまりは山本七平さんの『日本人とユダヤ人』を読んだんですね。それで現地に行きたくなった。

佐藤 「日本人は安全と水はタダだと思っている」という本ですね。

小林 でもユダヤ人にしてみれば、安全と水こそコストがかかるわけです。彼らはカナンの地から追われますが、2000年に及ぶディアスポラ(民族離散)の中でもユダヤの民としてのアイデンティティを持ち続け、第2次世界大戦後には故郷に戻って、ついに国を作った。さらにはヘブライ語も復活させました。これはやっぱり驚異ですよ。

佐藤 言語学者だってヘブライ語の復活は不可能だと言っていましたからね。

小林 留学に行ったのは建国25周年頃で、周りのアラブ諸国と戦争状態にあるのに、基礎研究をたくさんしていた。これには驚きましたね。私は放射線や光化学を研究していましたが、その分野でもベーシックな研究論文がたくさん出ていました。研究者はアメリカの大学帰りが多かったのですが、米国アルゴンヌ国立研究所やブルックヘブン国立研究所と行ったり来たりしている人もいて、非常にレベルが高かったですね。

佐藤 それは現在も同じでしょうね。シリコンバレーに移れば、年収が5倍から10倍になるようなITやAIの研究者がずいぶんいます。

小林 1人当たりのベンチャー企業の数が世界一ですしね。

佐藤 興味深いのは、知識人はほぼバイリンガルで英語を使えるのに、テクノロジー用語など新しい言葉ができると、それを必ず訳してヘブライ語を使っていることです。コストパフォーマンスからすると英語でやったほうがいいのに、そうは考えない。

小林 やはり物事の見方が違うのでしょう。ノーベル賞を考えると、アジアでは日本人がダントツに多いですが、ユダヤ人はその比ではない。彼らは流浪して世界中に広まり、だいたい1500万人くらいいます。世界の人口は77億人ですから、0・2%です。それなのにノーベル賞受賞者の23%がユダヤ人です。また、このところ話題になっているユヴァル・ノア・ハラリという歴史学者がいますね。彼は典型的なイスラエルの人とはいえませんが、やはり物事の見方が非常に広角的で深い。

佐藤 同感です。その著作『ホモ・デウス』を読むと、「人間はアルゴリズムなのか?」など、文末をクエスチョンにしているのが特徴です。これは典型的なユダヤ人の表現で、そこには「いや、そうではない」という反語のニュアンスも含まれている。だからハラリの文はたくさんの解釈が可能になってくる。

小林 ハラリは、戦争と飢饉とパンデミックは一見、解決可能になったように書きながらも、パンデミックにはまだまだ対応の必然性というか、コロナの前からコンサーン(懸念)を持っていましたね。

佐藤 感染体が生物兵器として使われる可能性を警戒していました。

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