カネやん追悼秘話 ロッテ監督時代、映画「さすらいの航海」を見て泣いた理由

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最後の電話

 そこからはタクシーに分乗して、新大久保にある球団事務所へ。既に会見用の雛壇は用意され、質問役のアナウンサーがマイクを握って立っていた。私はカネやんの正面、前から2列目か3列目に陣取った。映画館で涙を見たのと同じ、カネやんの目が見える位置である。

 カネやんの開口一番はどんなセリフか――会場内に押し寄せた50人近くのメディアが注目する中で、カネやんは「ロッテの優勝は『さすらいの航海』や!」と言い放った。

 私はカネやんの目を見た。カネやんも私の目を見ている。その言葉の意味を説明することなく、カネやんは優勝について語り出した。記者たちから「どういう意味ですか?」と質問が出ることもなかった。

 私の書いた「さすらいの航海」という記事は、あまり読まれていなかったかもしれない。さすらいを終えたロッテ号は、また厳しい移動の世界・大西洋に戻ってしまうのか。それでも私は充分満足した。カネやんと私だけが「さすらいの航海」を共有できたことを内心誇りにさえ思った。

 翌年、カネやんは監督を辞任。私は演劇や芸能界を取材する文化部へ異動することとなったが、野球を取材したいという我儘から、所属していた『日刊スポーツ』を辞めてしまった。カネやんの「さすらいの航海」を取材したのを機に、あてのないさすらいを始めてしまったのだ。

「さすらいの航海」について、カネやんと話をしたことが一度だけある。その後、私が『スポーツニッポン』に転職し、定年退職してから10年ほど経った頃のことだ、たまたま付けたテレビが、あの映画を放送していたのだ。

 カネやんに電話してみよう――あの仙台の出来事がよみがえり、不意にそう思った。評論家、タレントとして活躍するカネやんを、ブラウン管越しに見る機会はあったが、直接やりとりするのは本当に久しぶりのことだった。

 が、やりとりは「監督、今、テレビで『さすらいの航海』をやっていますよ」「おう、そうか。ワシも見てみるで」という短いもので終わった。放送後、カネやんからの「見たで!」の電話があるのを期待していた。「あの時はこうだった」の会話がしたい。しかし、カネやんからの折り返しの電話は、その後、なかった。

 むしろ、あれ以上、カネやんと話をしなかったのが良かったかもしれない。今では私はそう思っている。カネやんも私もまだ「さすらいの航海」を継続している。亡くなって天国へ行くのも、航海の一環だ。私も年齢的に“人生の真っ只中”とか“道半ば”などとは言えない歳だが、心の底に「さすらいの航海」が生きている。それが人生というものかもしれない。

庄司憲正(しょうじ・のりまさ)
1948年、千葉県生まれ。早稲田大学文学部英文科卒。日刊スポーツ新聞社、スポーツニッポン新聞社でプロ野球取材を歴任。退社後、フリーライターとして著作に『星野仙一 「気」の管理術』(ラインブックス)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年12月20日掲載

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