カネやん追悼秘話 ロッテ監督時代、映画「さすらいの航海」を見て泣いた理由

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カネやん流の選手教育

 思いついたのは、監督以下、選手たちが、過酷な移動を強いられた本拠地問題が大きかったのではないか、ということだった。つまり、ナチスの迫害から逃れようとさまようユダヤ人たちと、自分たちを重ね合わせたのではないか。

 それまで神奈川の川崎球場を本拠地としていたロッテは、この年、球場側の都合により、本拠地でやらねばならない65試合が開催できなかった。そのため、仙台にある宮城野野球場(現・楽天生命パーク宮城)を準本拠地として、2つの球場を行き来していたのである。この時、カネやんと我々が仙台にいたのもそのためだ。

 一部からは“さすらい軍団”とも揶揄されたが、腰を落ち着けて戦う球場がない状況は、選手に多くの負担をかけた。突然の雨天中止になった時には、室内練習場を借りることもできなかったことがあった。おかげで、選手たちは公園や近くの河原で濡れながら練習することになった。そういう場所では砂利が選手の足元を邪魔し、ろくな練習にはならない。キャッチボールくらいしかできない状況だったが、有藤通世、村田兆治らのスタークラスは「いい汗かいた」と不満を漏らすことはなかった。そういう場所にも来てくれるファンにお願いされて、心よく色紙にサインをしていたものである。カネやんは「泣くんじゃねえ。グチをこぼすな。移動の辛さもチームの結束を呼ぶ。これがロッテの強さなんや」などと笑い飛ばしていた。

 もし泣いた理由を聞いても、「目にゴミでも入ったんやろ」と誤魔化されるのがオチ。だから私は、ロッテが優勝を決めた時の原稿に、この映画館の逸話を書こうと思っていた。実際は、優勝が決まる数日前に〈今日にもロッテ優勝。「さすらいの航海」が終わる〉という「前触れ記事」の形で世に出ることになった。Vを逃した場合には、このエピソードが紹介できなくなると踏んでのことだ。

 10月4日、ロッテは日本ハムに敗れ、全日程を終了した。翌5日には阪急-近鉄戦が行われる予定で、阪急が敗れればロッテの優勝が決まるという状況だった。

 この5日は、ロッテが仙台から帰京する移動日で、かつ阪急の試合はWヘッダー(デー・ゲーム)。仙台から上野にむかう列車の中で、優勝が決まる可能性があった。当時は携帯電話もない時代である。チームが乗るグリーン車では、カネやんを筆頭に選手、ロッテ関係者、そして我々担当たちが、試合速報を流すラジオにかじりついていた。

 途切れ途切れのラジオ放送は、近鉄リード、阪急劣勢を伝えたが、なかなか勝敗は決まらない。全員、イライラしながら待つなか、「上野駅まであと5分」のアナウンスが流れた――歌手の井沢八郎が歌っていた「あゝ上野駅」を地で行くカネやんドラマである。列車を降りてしまえば、もう試合結果を知る術がない。カネやんも下車の準備をしながら、「球団事務所と連絡を取るしかないわな」とつぶやいた。そこで私は、駅に着くや否や乗客をかきわけ、列車の前方を目指した。その先の改札口、そこのロビーには、公衆電話があるだろうと思ったのだ。果たして電話はあった。発見した時の電話の緑色が、今でも目に焼き付いている。

 会社のデスクに電話すると「阪急が近鉄に負けた。ロッテの後期優勝が決まったぞ!」と聞かされた。そこで今度は、改札からゾロゾロと降りてきたロッテ一行のもとに引き返した。頭一つ飛び出したカネやんを見つけるのは簡単だった。「監督、決まりました!」と伝えると、「そうか、さあ、新大久保の球団事務所や」という号令を出した。

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