涙なくしては読めない、伝説の投手・江夏豊の「奇跡の引退試合」

野球2017年2月19日掲載

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球界を去る男たち

 球史に残る名投手でありながら、所属チームとは関係なく、通常は草野球しか行われない球場で、引退試合を行った――。
 各球団がキャンプインして、そのレポートが伝えられるようになるこの時期、プロ野球ファンの気分が日ごとに興奮度を増してくる。一方で、昨シーズン終了を機に球界を去った選手も多くいる。年末の「プロ野球戦力外通告」(TBS系)を涙しながらも、ついつい見てしまうというファンも多いことだろう。
 ほとんどの選手がひっそりと辞めていくのだが、スター選手ともなれば話は別。華々しい引退試合を用意されることとなる。大抵は、チームのフランチャイズ球場や、選手ゆかりの球場で行われる。

 ところが、球史に残る名投手でありながら、所属チームとは関係なく、通常は草野球しか行われない球場で、引退試合を行った選手がいる。
 江夏豊投手である。

 なぜそのようになったのか。どのような引退試合だったのか。
 「背番号」を軸に、名選手たちの人生を追ったノンフィクション『神は背番号に宿る』(佐々木健一・著)から、この不思議な、そして感動的な引退試合の模様をご紹介してみよう(以下は、同書の「『28』 江夏豊の完全」を抜粋、引用。敬称略)。

球団が拒否した引退式

 阪神、南海、広島、日ハムと球団を転々とした江夏が、日本で最後に在籍したのは西武ライオンズである。しかし、西武では首脳陣との確執もあり、最後の年となる1984年には飼い殺しのような処遇を受け、球団主催の引退式も開かれないことになった。同年にやはり西武を引退することになった田淵幸一の引退試合が球団主催で行われるのとはあまりにも扱いに差があった。
この仕打ちに対して、
「一時代を築いた人間に、あまりに失礼じゃないか!」
 と憤ったのが、雑誌「Number」の初代編集長・岡崎満義や同誌のスタッフたちである。創刊号の特集記事「江夏の21球」以来の親交があった彼らにとって、あれほどの実績のある大投手の引退式が行われないことは許せなかったのだ。
 自分たちの手で引退式を開こうと考えた彼らは、当初、江夏氏とゆかりのある他の球団に、「球場を貸してくれないか」と頼むが、ことごとく断られてしまう。
 その状況を米国から帰国したばかりの江夏(当時、メジャーリーグに挑戦しようとしていた)に伝えると、こんな返事が返ってきた。
「分かった。それなら草野球の球場でもええわ。それの方が案外、ワシらしい引退試合になるかもしらん。やってくれるというありがたい人がいるかぎり、球場はどこでもかまわんと思う」
 こうしてようやく決まった舞台は、東京・多摩にある「一本杉球場」だった。

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