オウム死刑執行から1年…未亡人が明かす、新実智光が綴っていた「麻原彰晃との決別」

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オウム「新実智光」「土谷正実」未亡人が明かした最期の肉声(1/2)

 類を見ない規模で死刑が執行されたのは、平成最後の夏となった昨年7月。それから1年を機に、オウム真理教死刑囚の未亡人2人が夫の最期を回想した。かつての“忠臣”は麻原と決別し、サリンを作った化学者は再審請求を拒否し……。語られなかった「最期の肉声」。

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 13人の死刑囚の中には、自ら事件を「悔悟」し、世に残した者もいれば、黙して語らずを貫いた者もいる。雄弁と沈黙――どちらを選ぶべきか、捉え方は人それぞれであろうが、以下に紹介するのは、その「後者」の部類に入る人物である。

「余命1年…だとしたら」と題された1冊の大学ノート。それを前にして、新実智光・元死刑囚(享年54)の夫人が言う。

「夫は拘置所に入って23年間、日記を欠かしませんでした。遺品として受け取った大学ノートは20冊以上もあったと思います。最後のノートは昨年3月14日に始まっていました」

 それは新実が東京拘置所から大阪拘置所に移送された、まさにその日である。執行のカウントダウンが始まる中、新しい日記を開いた新実。まさに遺言とも言えるものだが、夫人はこのノートを最近まで開くことはなかったという。

「自分が知らなくていいことまで書いてあるんじゃないかと思って。昨年末に軽く目を通しただけで、きちんと読んでみたのは、このGWの10連休。一読してビックリしました。日常生活について書かれたものがほとんどでしたが、中に、教祖や、松本家に対して『決別』を述べた箇所もたくさんあったんです。それを見た時、あぁ夫は教祖から離れて次の世に行ったんだな、と実感しました」

 新実は1986年に入信した最古参の幹部の一人。「自治省」大臣を務め、麻原警護や信者監督の責任者だった。オウムは7件計28名の殺人を犯しているが、新実は麻原を除いて唯一、すべての事件に関わっている。坂本弁護士一家殺害事件ではまだ1歳だった龍彦ちゃんを手にかけ、松本サリン事件では現場指揮役、地下鉄サリン事件では送迎役を務めるなど、「最も血なまぐさい男」と呼ばれた。麻原崇拝が強いことでも知られ、ホーリーネームに因んで「帰依のミラレパ」。法廷でも動機を「慈悲殺人」と述べ、遺族を憤慨させていた。

「拘置所の中でもその姿勢は変わりませんでした」

 と夫人が言う。アレフ信者だった夫人は2012年に新実と結婚。後に脱会し、信仰とも縁を切っている。

「拘置所でもずっと修行を続けていました。面会や手紙の中でも“尊師”と呼び続けていましたし、信者へのメッセージでは“来世はグルと共に転生する”とも。松本家も『法友』と述べ、面会を続けていたんです」

 だから最期まで帰依を捨てないままだった――そう思っていた。ところが、だ。

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