オウム死刑執行から1年…未亡人が明かす、新実智光が綴っていた「麻原彰晃との決別」

国内 社会 週刊新潮 2019年7月11日号掲載

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“ネズミの大群が…”

 先の日記には、こんな表現もあったという。

「普通の結婚生活が送りたかった」「もっと別の人生があったんじゃないか」

 麻原の「霊的奴隷」とまで言われた男に、いかなる変化があったのか。もちろんそれはあの世の本人しか知らぬことであるが、

「生きることへの執着が生まれてきたのではないかと思います」

 と夫人は言う。

 昨年1月、一連のオウム訴訟で最後まで残っていた高橋克也の裁判が終結し、執行へのハードルが消えた。

「3月に移送があり、弁護士さんからも“今年、執行がある”と言われていたんです。それが影響したのでしょうか、大阪に来てからは、夫は面会の際に“自分は死ぬんじゃないか”と言うことがありました。その度に“ないわないわ”と言って安心してもらおうとしましたが……。“胃が痛い”と言い出すこともあったんですが、検査を受けても異常は出ません。東京にいた時は一度もなかったことでしたね。死刑が執行される2日前に面会に行った時、突然、夫はその前の晩に見たという、夢の話を始めたんです。“独房の前にネズミの大群がやってきて怖かった”と。追い詰められているな、と思いました。後になってみれば、夢を見たのは法務大臣が執行にサインした日の夜だったんです」

 新実は、長きに亘った拘置所生活の中で懲罰を受けたことは一度もなかった。それほどまでに超然としていた男の“変化”であった。

「私は大阪に住んでいますから、夫が東京にいた時はそれほど会いに行けませんでした。でも、3月に大阪に移送されてからは毎日欠かさず面会に行きました。そこで私の仕事の話や、大阪の街がどうなっている、コンビニで何を売っているとか、たわいもない話をして笑い合っていました。夫はそこで、私を通じて普通の人生が目の前に広がっていることを強く実感したんだと思います。でも、絶対にそこへはたどり着けない……。その中で、自分にも普通の人生があったと思うようになった。日記にも“実態との差がないのは妻だけだ”“尊師と妻のどちらを選ぶかと言われれば、迷うことなく妻を選ぶ”とありました。そして、自分をこうしてしまった教祖のことも深く考えるようになったんだと思うんです」

 そこに至るまで四半世紀の歳月が必要だったとはカルトの病理を改めて感じざるを得ないが、ノートには“欠落”と言える部分もある。麻原との決別はあくまで自らが「被害者」との視点に立ってのこと。自らを「加害者」として事件を捉えることはなかったのだろうか。

「そこは……日記にはないんですよね。昔から事件については、開き直るわけではないですが、一歩引いた態度を取っていました。“過去は振り返らない”と言っていましたし、“あの時はあれで仕方がなかった”と言うこともありました。事件や遺族については、ずっとどこか客観的なままで、そこは最期まで変わりませんでしたね」

 自らの罪と肝心な部分で向き合うまでには、23年の歳月でも十分ではなかったのかもしれない。

 そんな新実の最期の姿は、穏やかなものだったという。

「刑務官の方が教えてくれたのですが、すごく落ち着いていて、まっすぐ前を向いて刑に臨んでいた、と。遺体の表情もまるで眠っているようでした。ただ、首に巻きついた縄の跡が紫色にくっきり凹み、吊るされた側なのか、皮膚が剥けて血が出ていたのが痛々しかったですが……。執行の日に出すはずだった手紙が遺品の中にありました。私に宛てて“これからもよろしく”と書かれていました」

(2)へつづく

特集「オウム『新実智光』『土谷正実』 未亡人が明かした『最期の肉声』」より

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