天皇陛下と米大統領 機密文書で読み解く32年前の「プリンス・アキヒト」米国訪問

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 10月11日の昼下がり、浩宮はレーガン大統領との会見に臨んだが、非公式訪問にも拘わらず玄関では国賓を接遇する儀典長が出迎え、国務長官が執務室へ案内するもてなしぶりだった。会見自体は約6分と短かったが、レーガン大統領は、その長身を屈めるようにして手を差し伸べ、「米国と日本の友好関係を更に増進する事を念願しています」と語りかけた。

 そして中曽根総理が日米首脳会談に臨んだ頃、サンフランシスコに滞在中だった浩宮は、記者団に「政治・経済問題に立ち入らない皇族の身だが、日米貿易摩擦は、相互理解で解決できるのでは」と発言していた。

 このように米国の皇室ファイルを読むと、彼らが天皇の影響力を計算して、水面下で緻密な外交戦を進めていたのに気づく。日本の皇室とどう向かい合うかは、国家安全保障に直結し、その訪米に合わせたように日米の緊張が一瞬、凪状態になったのは偶然とは思えない。

 歴史を振り返ると、海外の立憲君主は、他国と紛争が生じた際、時に政府が代替できない外交チャンネルとして機能してきた。対立が深刻化し、政治家や官僚が打開できなくても、王族による対話で突破の糸口が見つかるのだ。

 この場合も米国は、将来の天皇の面前で露骨な対日要求を出すのはまずいと判断したのか。だとすれば、天皇家から“配当”を受け取っていたのは米国でなく、他ならぬ、われわれ日本国民だった事になる。

 冒頭の平成最後の誕生日会見で、やがて上皇は感情を抑えきれず、声を詰まらせて絞り出すように続けた。

「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います」

 今後も時が流れるにつれ、米国ではホワイトハウスや国務省、情報機関の皇室ファイルが次々と機密解除されていく。その時になって、初めて私たちは、「平成」という時代とは何だったか、上皇と上皇后がどんな旅を続けてきたかを知るはずだ。

徳本栄一郎(とくもと・えいいちろう)
英国ロイター通信特派員を経て、ジャーナリストとして活躍。国際政治・経済を主なテーマに取材活動を続けている。ノンフィクションの著書に『角栄失脚 歪められた真実』(光文社)、『1945 日本占領』(新潮社)、小説に『臨界』(新潮社)等がある。

週刊新潮 2019年5月2・9日号掲載

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