天皇陛下と米大統領 機密文書で読み解く32年前の「プリンス・アキヒト」米国訪問

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グッド・ニュース

 この年、1987年の3月には、日本が日米半導体協定に違反しているとして、米国政府は100%の報復関税を含む対日制裁措置を発表した。対象候補はカラーテレビやエアコンなどいずれも輸出産業の柱で、実施されれば壊滅的打撃は避けられず、米国のマスコミは第2次大戦以来、初の日本への制裁と大々的に報じた。

 さらに事態をこじらせたのが、同年に発覚した「東芝機械ココム違反事件」である。東芝の小会社が、ココム(対共産圏輸出統制委員会)の規制に違反してソ連に工作機械を輸出し、それによりソ連の潜水艦のスクリュー音が小さくなり、探知が難しくなったとされた。日本は、金儲けのためなら西側の安全保障も売り飛ばす国というイメージが拡散する。

 ジャパン・バッシング(日本叩き)の震源地は米議会の強硬派で、選挙区へのアピールから東芝製ラジカセをハンマーで叩き壊すパフォーマンスも行い、足元で圧力を受けるレーガン政権も対応に苦慮していたのだった。

 そうした中で1987年10月6日の午前、整列した儀仗兵の敬礼を受けながら、皇太子はホワイトハウス西棟の正面玄関に到着した。出迎えた国務長官により大統領執務室へ案内されると、米国人記者団から「貿易問題を話されるのか」といった質問も飛んだが、皇太子は何事もないかのように返事をしなかったという。

 日本人の感覚からすれば、天皇の名代に貿易摩擦について訊くなど信じられず、象徴天皇制をよく分かってない証拠なのだが、当時の米国の雰囲気を物語るエピソードではある。そして、この将来の天皇に米国政府は最大限の敬意を表した。

 特別機がワシントンに近いアンドリューズ空軍基地に到着した時は国務長官が出迎えたが、これは異例で、かつて英国のチャールズ皇太子夫妻が来た際も儀典長止まりだった。また米国の戦没者が眠るアーリントン墓地の供花式でも、国賓を遇する21発の礼砲が鳴り響き、大統領専用ヘリコプターの手配など、米国政府は総力を挙げて日米友好を演出した。

 それは、駐米日本大使が思わず「ジャパン・バッシングの嵐の中で、喉から手が出るほど欲しかったグッド・ニュース」と漏らした程だった。

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