天皇陛下と米大統領 機密文書で読み解く32年前の「プリンス・アキヒト」米国訪問

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配当を生むものと…

 そして米国は、わが国の皇室で重要な位置を占める、ある人物にも熱い視線を注いでいた。日本で絶大な人気を誇る彼女に格別な配慮を示せば、貿易摩擦を含め、険悪な対日感情を変えられるかもしれない。その人物こそ、皇太子と共に訪米した美智子妃である。

 訪米が迫ってきた8月20日、国家安全保障会議の幹部が、あるメモを作成した。

「皇太子夫妻を招いた晩餐会とは別に、国務省は、レーガン夫人が皇太子妃とささやかなお茶会を開くよう要請している。われわれも、この案を支持する」

 10月6日にレーガン大統領夫妻は皇太子夫妻を招いた晩餐会を開催するが、その日の午前中、夫人同士のお茶会を開いてもらいたいとの提案で、ホワイトハウスは即座に了承した。

 開戦前夜のような空気の中、少しでも友好を演出する狙いだが、そもそも米国のファイルに美智子妃が登場し始めたのは、その25年以上も前、アイゼンハワー政権の頃である。

 当時の岸内閣は日米安全保障条約の改定を目指したが、それは国会前で大規模な反対デモを引き起こし、東京大学の女学生が死亡する事態に発展した。これにより予定されていたアイゼンハワー大統領の来日は中止され、岸信介総理も退陣に追い込まれるなど日米を騒然とした空気が包んでいた。

 その最中の1960年9月に結婚間もない皇太子夫妻が訪米するのだが、当初、日本側は、このタイミングでの米国行きを躊躇していた。それを積極的に推し進めたのが米国政府で、事前に作成されたファイルは、「歴史上初めて将来の天皇と結婚した『平民』」美智子妃のプロフィールが詳細に記述されていた。

「カトリック系の名門・聖心女子大学で一般教養を学んだ美智子妃は、きわめて魅力的で高い人気がある。長年、キリスト教に触れており、保守的だが同時に上品さを兼ね備える。高い知性を持ち、聖心では優れたまとめ役として学生自治会の会長に選出された」

 また彼女の父親で日清製粉社長だった正田英三郎は平民出身だが、母親の富美子は九州の佐賀の名家につながり、700年前の記録にも登場する家系だという。さらに兄の巌は米国のイェール大学に留学中など、その調査対象は家族や親戚にまで及んだ。

 貿易摩擦で軋む日米関係の改善を狙ったレーガン政権と、安保闘争の後遺症に悩むアイゼンハワー政権、どちらも魅力的で絶大な人気を誇る美智子妃を外交カードにしようとしたのだった。

 そして、わが国の皇室が外交上、貴重な資産になりうる事を示す、もう一つのエピソード、それは5月に即位した天皇浩宮のものである。

 1985年10月、中曽根康弘総理は国連開設40周年記念総会に出席するためニューヨークを訪れて、レーガン大統領と首脳会談を行った。ここでも議題のほとんどは貿易摩擦で占められ、日本側は新たに強硬な要求が出るのではと身構えたが、蓋を開けてみると目立った注文もなく、拍子抜けする程だったという。

 当時の新聞記事には「運よかった中曽根さん」「『懸案』解決先送りに」(毎日)、「通商で新要求も出ず」「運も味方 しのいだ首相」(朝日)との見出しが残っているが、はたして本当に“運”だけだったろうか。

 じつは中曽根総理が緊張した面持ちでニューヨークへ出発するわずか1週間前、ある青年皇族がワシントンでレーガン大統領と会見し、将来の天皇たる彼の影響力を見越した米国は丁重な接遇をもって迎えた。それが、2年余りの英国留学を終えて帰国する途中の浩宮だった。

 オックスフォード大学マートン・カレッジで学んだ浩宮は、帰国する前、約3週間に亘って米国各地を巡ったが、その2カ月前の8月20日、当時のロバート・マクファーレン国家安全保障問題担当補佐官に国務省が送ったメモがある。

「浩宮は現在の皇太子に次ぐ天皇裕仁の皇位継承者で、英国滞在中は(サッチャー)英首相に歓迎され、王室とも密接な交流を行ってきた。皇族の中で浩宮ほど西洋での教育を受けた例はなく、今後も濃密なコンタクトを維持する事になると思われる。皇室の役割は純粋に儀礼的なものだが、当方は、浩宮への親密な歓迎が日本国内で高く評価され、将来の2国間関係と皇室との接触において配当を生むものと信じる」

 日本の皇室に敬意を払って良好な関係を築いておけば、将来、必ず自分たちに恩恵をもたらす。それに「配当」(dividends)と株式取引の用語を当てるのがいかにも露骨だが、この時もホワイトハウスは喜んで提案を受け入れた。

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