“革命は月曜日に起こりやすい”、日本の生活満足度(古市憲寿)

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 満たされている時、誰かを憎むのは難しい。仕事はうまくいっているし、友人や恋人にも恵まれている。そんな人は、ちょっとの嫌なことがあっても「まあ、いいか」と思ってしまう。一方で、自分がうまくいっていない時は、そうはいかない。過去のことを蒸し返してまで誰かに恨みをぶつけるということもあると思う。

 革命は月曜日に起こりやすいという説がある。安息の日曜日が終わり、仕事に行きたくない労働者が騒乱を起こしやすいというのだ。

 それはちょっと大げさとしても、19世紀のパリ警察が、月曜日を警戒していたのは本当だ(喜安朗『パリの聖月曜日』)。週の初めである月曜日は、労働者が自主休業をして、居酒屋に集まることが多かった。大酒を飲んだ彼らは気が大きくなり、それがストライキやデモといった社会運動に発展しやすかったという。

 何となく気持ちはわかってしまう。社会運動に参加することにはリスクが伴う。かつてなら権力に弾圧される危険性もあっただろうし、時間も体力も必要だ。

 よりよい社会の到来は万人の希望だとしても、自分でその変革に関わるよりも、傍観者でいたほうがコスパはいい。しかも社会は簡単には変わらない。

 そんなことは19世紀のパリの労働者も認識していた。彼らは、革命が起こった後も、自分たちの生活が何も変わっていないことに気付く。革命によって政権だけは代わったが、自らの貧困は解決されていない、と。

 現代日本でも同じことが言えるだろう。2009年の政権交代で、少なくない国民が民主党政権に期待した。この国が変わると思った。しかし今や「悪夢のような民主党政権時代」と揶揄される始末だ。

 では政権交代前の自民党が「瑞夢(ずいむ)」や「吉夢(きちむ)」だったかといえば、それも怪しい。世界金融危機の影響で景気は低迷、閣僚のスキャンダルも多かった。

 もちろん政権交代に一定の意味はあったのだろう。不十分とはいえ、若年層に向けた社会保障にスポットライトが当たったし、TPP交渉への参加も決断した。これらの政策は、その後の自民党政権にも受け継がれている。

 政権交代は、現行の憲法や法律さえも無効になるだろう暴力革命に比べれば、はるかにマシだ。一滴の血も流さずに行われる。

 それでも、なかなか政権交代が現実味を帯びないのは、政権が代わっても自分たちの生活が大きく変化しないことに気付いた人々のせいかも知れない。19世紀のパリの労働者と同じだ。

 もちろん、本当に困った人が国中に溢れたら話は別である。しかしこの国の生活満足度は、2018年には過去最高となる74.7%を記録した。内訳を見ると、「まあ満足」という消極的な回答が多いので、あきらめ混じりの「満足」なのだろう。

 しかし、そんな後ろ向きの「満足」ほど、簡単に心変わりはしないのではないかと思う。大した期待もしていない分だけ、少しくらいの嫌なことでは達観してしまえるからだ。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2019年3月7日号掲載

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