早大スーフリ事件「和田サン」懺悔録 私が“鬼畜集団の首領”になるまで

国内 社会 週刊新潮 2019年2月21日号掲載

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刑期を終えた「スーフリ事件」主犯「和田サン」懺悔録(2/3)

「スーパーフリー事件」の主犯・和田真一郎氏(44)が懺悔と贖罪の念を明かす独占手記。当時“和田サン”と呼ばれた彼が、14年の刑期を経て出所したのは、昨年6月末のことだった。早大ふくむ有名大の学生ら14人が逮捕された輪姦事件は、いかにして起きたのか。

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 そもそもなぜ私は、女性の尊厳をこれ以上ないほどに貶めた“鬼畜集団の首領”に収まったのか――。もう四半世紀も前のことですが、私が早稲田に入学したのは1994年の4月でした。出身は都下の都立高校で、さきほど触れた通り(※第1回参照)、現役でまず中央大の経済学部を受け、入学しました。高校までは地味な暮らしだったので、大学で遊びたいという願望がずっとあったのですが、大学はイノシシが出没するような八王子の山の中。思い描いていたような「キャンパスライフ」とは程遠く、夏休み前から再受験を考えるようになりました。ゲームセンターでバイトして、それを元手に親に内緒で予備校に通っていましたが、別に早稲田でなくても、都心の大学なら慶應でも上智でもよかったのです。

 当時は、何となく「将来は大企業に入りたい」とだけ思っていた。父が自営業だったので、自分は安定した暮らしがしたかったのです。結局、大して勉強しないまま「仮面浪人」をして、慶應と上智は落ちたけれど早稲田の政経には合格。受験の際に両親に打ち明けたら、呆れていました。

 早稲田に通い始めると、やっぱり活気が全然違いました。当時はテニスサークル花盛りで、私もあちこちの新歓コンパに参加したのですが、そんな時、たまたま高田馬場の駅前を一人で歩いていて、スーパーフリーの先輩に声をかけられたのです。

 そのまま飲み会に行ってみたら、テニスサークルよりもっと遊び慣れた感じの人が多かった。私は別にテニスをする気もなかったので、こっちの方がいいなと思い、そのまま居ついてしまったのです。

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