早大スーフリ事件「和田サン」懺悔録 私が“鬼畜集団の首領”になるまで

社会 週刊新潮 2019年2月21日号掲載

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舞い上がってしまい…

 最初の飲み会には、確か2、3年生の先輩が6~7人と、新1年生が5~6人。それに対して女の子が40~50人はいたのではないでしょうか。つまり男1人を女の子4~5人が囲むという状態で、私はいきなりその場を盛り上げなければならなかった。高校時代から親しい女友達はいなかったし、中大時代に付き合った子はいたけれど、こんなシチュエーションは初めてで全然うまくいかず、見かねた先輩が助けてくれました。でも、女の子はみんな華やかで“これが俺の思い描いていたキャンパスライフだ”と、すっかり舞い上がってしまったのです。

 スーフリ自体は82年に設立されていて、私が入った頃は月に1回の飲み会が主な活動でした。女の子は先輩たちが集めてくるのですが、後に私が繰り返した輪姦などは、まだサークル内では横行していませんでした。2年生になった95年、先輩が抜けたこともあって私が代表に就くことになったのですが、その頃は私も含めて中心メンバーは男3人だけの小規模な飲み会サークルになっていました。

 ところが、その年の9月から私は六本木のヴェルファーレでバイトを始め、夜の世界に浸かって学校にほとんど行かなくなってしまいました。きらびやかな世界で大好きな洋楽が流れていて、客の女の子と喋るのも楽しく、完全にハマって昼夜逆転していったのです。

 バイトは大学5年の4月まで2年半続けました。そうやって遊び歩いている間に知り合った人たちに感化され、私の言動はその後、常軌を逸していったのだと思います。

 私は中大時代に付き合った女の子と初めてセックスをしたのですが、その頃はまだ、華やかな世界に憧れながらも“異性を容姿で差別してはいけない”と強く思っていました。それがだんだん変わっていき、夜遊びにハマった頃には、女性の内面にはまったく興味が持てず、時々女の子と関係を持ってもすぐに飽きて連絡を絶ってしまう。そんなことが続いていました。

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