元横綱「輪島大士」さん逝去 黄金時代を築いた「北の湖」さんと本誌で初対談

スポーツ週刊新潮 2015年1月22日号掲載

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 10月8日に亡くなった輪島大士さん(享年70)は、70年代に“輪湖時代”を築き上げ、多くの大相撲ファンを魅了した存在である。その相手である北の湖敏満さんも3年前に亡くなり(享年62)、戦後の大相撲黄金時代が遠くなったことを感じさせる。

 週刊新潮では2015年1月22日号で、2人の対談記事を掲載した。意外にも面と向かって語り合うのは、これが初のことだったという。「輪湖」は何を語ったのか。(※以下は記事掲載当時の内容)

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 1月8日の午後1時、両国国技館の通用口前に黒いBMWが停まった。後部座席から降りたのは第54代横綱・輪島大士。

 ほどなくして、日本相撲協会理事長・北の湖敏満が通用口から姿を現した。その刹那、輪島の表情が崩れる。目を見開いて、破顔一笑。北の湖へと歩み寄り、手を差し出す。

 第55代横綱は両の手で握り返したが、輪島は、溢れる感情を抑えるかのように口を震わせ、何度も頭を深く下げていた――。

 この日の3日後、初場所開幕と同じ1月11日に67歳の誕生日を迎える輪島。現役時代に186センチ、132キロあったという体躯はすっかり肉が落ち、痩せてしまった。一方、出迎えた北の湖は61歳。髪は未だ黒々とし、すぐにでも土俵に上がり、相撲がとれそうな雰囲気だ。

 車を運転してきた輪島夫人によれば、

「一昨年末に下咽頭がんの切除手術を受けました。手術は成功したものの、ほとんど声を失ってしまったのです」

 とはいえ、輪島の足取りはしっかりしている。館内への通路を歩きながら、“声が出なくて申し訳ない”と伝えたいのか、輪島は、北の湖のそばで喉元を押さえて拝む仕草を繰り返す。そこには、昔と変わらぬ人懐っこさが滲んでいた。

 初日を控え、館内では多くの人が席の設置作業などで忙(せわ)しなく動き回っている。客席の最上段に立った輪島は、しばらく館内を見回し、北の湖に導かれて土俵の脇まで。北の湖も、いつものコワモテとは打ってかわり、柔らかな表情である。

 ところで、数々の名勝負を繰り広げ、“輪湖時代”を築いた元横綱2人は、性格も辿った人生も正反対だ。

 輪島はオンナ絡みで騒がれることが多かったが、金色の廻しと得意の左下手投げで、「黄金の左」と呼ばれて人気を博した。しかし結局、借金問題などで角界を去り、そのあとはプロレスラーやアメフトの監督、タレント業などと有為転変。

 対する北の湖は、圧倒的な強さとふてぶてしさゆえ、「憎らしいほど強い横綱」の渾名がつき、子どもたちからは、“江川、ピーマン、北の湖”と嫌われたが、着々と出世を重ね、近年では、相撲協会理事長といえばこの人、とすぐ浮かぶ存在になっている。

 そんな2人が今回のように向き合うのは、実は初めてだという。以下、声をほとんど失った輪島と北の湖の対談は、筆談と、輪島夫人による“通訳”の助けも借りて進められた。

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