「稲川淳二」のもうひとつの顔 元祖“リアクション芸人”だった頃を知っていますか

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身体が心配になる程の芸

「ほら、もう蛇がウジャウジャいる中を泳がされたりとか、ワニの歯を磨かされたり、ペンキまみれの身体をロープで吊り下げられ、壁に打ち付けて人間魚拓を取らされるなどなど……見ていて心配になるほど、今では放送できないようなものに体を張っていたんです。それで、たけしさんにも気に入られて、『スーパーJockey』(日本テレビ系)にもレギュラーで出演し、熱湯風呂に入ったり、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』(日本テレビ系)にも出演していました。それらが人気となり『稲川淳二の悲惨だなーッ』(リイド社)という本まで出版したほどで、これに続いたのがダチョウ倶楽部や出川哲朗というわけです」(同)

 そうそう、同時期には、いまでこそ画家やヨガの実践家として活動している片岡鶴太郎(63)も、熱々のおでん責めに遭ったりしていたものである。

「86年に『オールナイトフジ』(フジテレビ系)で怪談を披露し、これが話題となって徐々に語り部としての道が開けてくるんです。稲川さんがちょっと変わっているのは、その時点でも工業デザイナーを続けていたこと。すでに『怪談ナイトツアー』で人気を得ていた96年には自然石を使った灯籠型の“車止め”を出品して通産省(当時)のグッドデザイン賞を受賞しています。何でも新幹線の検札機もデザインしたことがあるそうですよ。一方では、障害者の親としての経験をもとにバリアフリー関連の講演も行ったりと多才なんです。怪談の方も新作を次々と作っているようですし、ますます元気ですよね」(同)

 面白かったなあ、昭和の笑いは……。

 平成最後の夏の猛暑、久々に稲川淳二の怪談で寒気を感じてみるのもいい。

週刊新潮WEB取材班

2018年8月19日掲載

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