潜水艦「なだしお」の衝突事件から30年 隠された“計画”と当事者たちのその後

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

衝撃の爆弾証言

 哨戒長の荒井は検事の事情聴取に対して、「自分はN1運転の計画を事前に知らされていなかった。普通ならあり得ないこと」と断ったうえで、こう供述している。

「艦長自らがN1運転の指揮をとるつもりだった可能性が十分にあります。この様に考えることで、私にN1運転の予定が一切知らされなかったというおかしな話の説明が、唯一合理的に説明できると思います」

 間近にいた部下ならではのこんな推理も開陳している。

「私はそれまでに、山下艦長から“おれがとる”旨言われて、操艦指揮を艦長に代わったことは、場所いかんを問わず、一度もありません。ですから、艦長の内心の問題であり、はっきり断定できないものの、やはり艦長自身がN1運転の指揮を念頭に置いていたためもあって、“おれがとる”と言ったのだと思います」

 荒井の供述は、なだしお事件の核心へ迫っていく。命令の遅れなど吹っ飛ぶ、衝撃の爆弾証言である。

「ヨットを避航した後、艦長は前進強速の下令をしております。当時、第一富士丸との方角等をきちんと把握していなかったため、第一富士丸よりも本藍の方が先に通過できると思って、艦長は前進強速をかけたのです」

「艦長はその時点で、第一富士丸をかわせると思い込んでいたため、人員の配置が整えば最大戦速をかけよう、との考えが、艦長の頭にあったと思うのです」

 N1の試験運転を行うことで、ついでに第一富士丸も回避してしまおう、という無謀極まりない行動に出たというのだ。しかし、回避はできず、衝突の寸前、山下は「後進一杯」、つまり、スクリューを逆回転させてブレーキをかけるよう、命令している。艦内の運転席には、N1に備えて、既に乗組員が配置されていた。以下、機関長の古澤の供述。

「当然、N1運転の指示がなされるものと思っていたところに、後進一杯という予想外の指示が来たので、意外な感じがしたのは事実です」

 この時、運転室の乗組員の間からは「後進一杯はN1じゃない」と、戸惑いの声も漏れている。

 しかし、巨大潜水艦のなだしおは後進一杯をかけてもすぐには停止できず、衝突した。瞬間、艦内乗組員は、艦首がグッと下がるようなショックを感じたという。

 現在、57歳になる古澤を自宅に訪ね、事故の直前、運転室で行われたN1の打ち合わせの模様を訊いてみた。自衛隊を定年退職し、今は別の仕事に就く古澤は、こう答えた。

「そんなことがあったような気がするけどね」

 だが、それ以上のことになると「もう忘れた」と言うのみで口を噤んだ。

 哨戒長の荒井は、検事の事情聴取をこう結んでいる。

「艦長が“おれがとる”と言った以後は操艦指揮をとっており、ただ今述べた事故原因の責任は、直接的には艦長にあると言えるものの、私自身も操艦補助をしていた者として責任を感じています。それと、私が艦長に“漁船の方に向けます”と言ったとおりに操艦がなされていれば、事故にはならなかったと考えると、残念な気持ちになります」

 だが、裁判は真相解明とは程遠い、灰色決着で終わる。横浜地裁の判決(平成4年12月)は山下啓介に禁固2年6カ月、近藤万治に禁固1年6カ月(いずれも4年の執行猶予付き)というもの。ちなみに海難審判では一審こそなだしお側に主な過失があったとする裁決が下されたが、二審は「過失は同等」と一転している。

 司法記者が語る。

「過去の船舶事故で禁固2年を超えるものは殆どないから、判決そのものは軽いとはいえない。ただ、公判の証人尋問で、なだしお側の乗組員の証言が一変したことが不自然だった、検察の調書の内容を本人がことごとく“違います”“分かりません”と否定し、とぼけたのです。事前に意思の統一があったとしか思えない」

次ページ:今も続く沈黙

前へ 1 2 3 4 次へ

[3/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。