生誕100年 いまも色褪せない「田中角栄」秘蔵ショット集

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 折からのブームを経て、さる5月4日、田中角栄が生誕100周年を迎えた。リーダー不在の時代ゆえ……とその人気の理由を語るムキもあるが、さて実像はいかなるものだったのか。「週刊新潮」ならびに写真週刊誌「FOCUS」(2001年休刊)が捉えた、今太閤の秘蔵写真を公開する。

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 煙草を片手にカメラを見つめるこちらのショット(写真1)は、1963年12月に撮影されたもの。前年、第2次池田改造内閣で大蔵大臣に抜擢された角栄は、当時44歳。「大蔵大臣」が「財務大臣」となった現在まで、いまも破られていない最年少の就任記録だそうだ。

 角栄に接触した本誌カメラマンが「私の父が新潟県人で」と言うと、「そうか、よっしゃ」と目白の自邸での取材を許された。応接間のイスに腰かけ右を向いたり左を向いたり、注文に応じて気軽にポーズをとってくれたという。

 この撮影ののち、65年には自民党幹事長に就任。71年に第3次佐藤栄作内閣改造で通商産業大臣、翌年に『日本列島改造論』を発表し、第1次田中内閣を発足……という経歴を鑑みれば、政治家としての絶頂を迎える前夜のひとコマといえるかもしれない。

病後を初撮影

 先の写真の姿とうって変わり、後部座席に収まる姿はどこか力ない――(写真2)。この撮影の1年9カ月前に「脳梗塞」で倒れたと聞けば、ますます衰えたように見えてくる。1986年11月3日、秘書の運転する車に乗る角栄である。

 助手席に映る手前の女性は、長女の眞紀子氏(74)その人である。5月4日に角栄の生家のある新潟県柏崎市西山町で行われた生誕100周年記念式典では、

〈「政治は税金を使って国民のため、国家のため、世界のために死ぬ気になってやるんです。その辺のバカ息子、バカ娘がなるから、こんなことになっている」と今の政治をぶった切った〉(18年5月5日付「日刊スポーツ」)

 という眞紀子女史。“バカ娘”とは、さて誰のこと……?

 話を戻そう。こちらの写真は、病に倒れて姿を隠した角栄を、初めて捉えた1枚だった。「FOCUS」01年7月18日号は、「『田中角栄』をバシャった6台のカメラ」記事で撮影経緯を以下のように伝えている。

〈本誌が“角栄追っかけ班”を編成したのは、「最近、都内を車で時折“散歩”している」という情報が入ったからだった。早速、記者とカメラマンによる取材グループを作り、目白の私邸や、最初に入院した東京逓信病院などのウォッチングが始まった〉

 そして捉えたのが、眞紀子氏らと共に自宅方向へ向かう角栄一行の姿だった。「角栄車」が確実に通りそうな信号機付きのある交差点に6人のカメラマンが急行し、赤信号で止まったところをパシャリ。

〈閃光がひらめいた瞬間、車の主はこちらを振り向き、キッと睨みつけた。そして、それがカメラとわかったせいか、次に、彼は、笑った……。出来れば、かつてのこの人が得意であった、片手をあげて「イヨッ」というポーズをとりたかったのかも知れない〉

〈「角栄車」からは激しいクラクション。眞紀子さんが怒鳴る声も聞こえてきた〉

 亡くなったのは、この7年後のことだった。

週刊新潮WEB取材班

2018年5月12日掲載

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