東条英機、田中角栄が浸かった湯を追体験! 宰相たちが愛した「名湯」「隠れ宿」

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宰相たちが愛した「名湯」「隠れ宿」――山崎まゆみ(3)

 激動の戦時下を過ごした総理たちも、癒しを温泉に求めた。都心からほど近い処にも、当時を追体験できる名湯が残されていることはあまり知られていない。

 太平洋戦争が勃発した直後の昭和16年暮れ、総理の職を辞した近衛文麿は箱根にいた。

 彼を師と仰ぎ、大蔵官僚を経て博報堂の社長を務めた近藤道生(みちたか)氏は、その著書『不期明日』でこう記している。〈開戦から20日余りが過ぎた12月30日、前触れもなく箱根湯本にあった萬翠楼福住旅館の夕食の席に招かれた。(中略)/「勝った勝ったとみんな舞い上がっているが、本当に困ったもんだねえ……」/庭に臨む広い和室に端座して、近衛公が甲高い声で口火を切る〉

 宰相を辞してからも、近衛がよく逗留したのは萬翠楼福住という旅館の別邸である。戦後は画家の平賀敬が暮らし今は美術館となっているが、入場料と入浴料を払えば、近衛が使ったお風呂で入浴できるのだ。

 萬翠楼福住の温泉が引かれ、肌触りは柔らかく、真綿に包まれるような湯だと評価が高い。近衛が寛いだ大理石の湯船に、その湯がこんこんと注がれている。

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