「暴力団博士」はなぜヤクザの話を聞き続けるのか

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暴力団博士

 テキヤ、ヤクザ、元ヤクザ、組長、組長の妻、組長の娘……犯罪社会学者の廣末登さん(久留米大学文学部非常勤講師)はこれまで、数多くのアウトサイダーたちから話を聞き、それを論文や書籍の形で発表してきた。最近ではマスコミから「暴力団博士」と呼ばれることもある。

 廣末さんの特徴は、対象に密着して長期間じっくりと話を聞くことだ。自身、少年時代にグレていたこともあり、違和感なく相手の懐に入り込み、人生を丹念に聞き取っていく。

 たとえば近著『ヤクザと介護』(角川新書)では、ヤクザから介護ヘルパーに転身した男性のキャリアを追っている。また『組長の妻、はじめます。』(新潮社)では、関西で50人以上の男たちを従える自動車窃盗団の女ボスとして君臨していた姐さんの波瀾万丈の人生を描く。

 取材に際して、廣末さんはこのように心がけているという。

「聴取対象者との間で信頼関係を醸成しないと、本音は聞けません。ですから、私は取材に際して、彼らの属する集団、社会の文化を最大限尊重します。たとえば、テキヤの一座に加わって取材するとしたら、まずは彼らのファッションを真似するように心がけたり、生活様式も彼らに合わせたりしています。そうすることで、取材者たる私が異邦人であるという事実を払拭できないにしても、『そこに居る』ことの違和感が薄まります。簡単に言うと、研究者であるという自負や意識を、調査期間中は一旦棚上げすることです」

ヤクザの言い分を聞く理由

 前出の2作もそうだが、廣末さんの著作には、本人の独白形式のものが多い。犯罪にかかわった人に直接話を聞いている迫力は満点。普通の学者のおカタイ論文とは一線を画した内容だと評判を取っている。しかしその一方で、批判を浴びることも珍しくない。「犯罪者の言い分を聞いて何になるんだ」「被害者の気持ちを考えろ」「不良自慢がむかつく」等々。

 こうした意見に対して、廣末さんはこう語る。

「決して犯罪者の手柄自慢になってはいけないでしょうし、そのようには書いていません。話をしてくれる多くの人は、かつての犯罪を恥じていますし、心から反省しています。だからこそ、信頼関係が構築された後は、懺悔の意味もあるのでしょうが、自分の犯した過ちを赤裸々に語ってくれるのです。

 ヤクザに代表されるアウトサイダーの人たちは多くの市民にとって、消えてなくなればいい存在なのでしょう。ただ、そのためにも、なぜ人はそういう道に進んでしまうのかを知らなければいけません。犯罪や非行の原因を知らなければ、有効な対策も立てられないのです。犯罪社会学の意義はそこにあります。

 たとえば、犯罪の『はの字』も知らない役人が『赤線地帯を無くしてしまえ』と、売春街の浄化作戦を敢行した結果、どうなったでしょうか。外国人経営者によるモグリの派遣型風俗の台頭、素人売春の増加、性感染症の拡大等が起こったのです。売春街の浄化政策は、果たして社会全体にとって有効であったと評価できるでしょうか。

 ヤクザに関してみると、『ヤクザに人権なんかない。全部捕まえろ』と言う方もいらっしゃいます。気持ちはわからなくもないのですが、そうすることで本当に治安が良くなるのかという視点も持ったほうがいいと思います。物事には、作用があれば反作用も生じます。ヤクザがいなくなって、半グレやアウトローが跋扈しだしたことで、より治安が悪くなったところもあります。外国人犯罪者による薬物ネットワークが国内に形成され、未成年者の薬物使用が増える傾向もフィールドで実感しています。また、シノギが無くなり、追いつめられたヤクザが自暴自棄になった結果、ヤクザの掟から外れて強盗などの犯罪に従事することもあります。

 また、『全部捕まえろ』を本気で実行すれば、そのコストも途方もないことになるでしょう。

 残念ながら、物事は『全部捕まえろ』『厳罰化で臨め』で片付くほど単純ではありません。このことは、洋の東西を問わず、犯罪史を紐とけば自明のことなのです」

 取材相手が胸襟を開くのは、廣末さんが元不良だから、というだけではないのかもしれない。実のところ、現在の廣末さんは「博士」とはいっても、大学の給料で生活できていない。俗にいう「野良博士(常勤職を持たない博士)」と言われる立場。博士となった後も、さまざまなアルバイトをしながら糊口をしのいでいる状態だ。それはたとえば、イベントスタッフ、通行人数カウント調査員(カチカチマン)、電器店で暖房器具の販売員等々。最近は葬儀屋で週2~3日、夜勤の仕事をしている。

「私から俗っぽさが無くなれば、もはや調査対象者のフィールドには入れないでしょう。たとえば、『社会復帰しなよ』と言ったところで、説得力が無くなるのではないでしょうか。『自分はヌクヌクしやがって。低賃金で働くおれたちの立場なんか分かるわけない』と、思われるかもしれません。

 あるいは、私自身が、『情報上の地位の遅れ』――これは、過去に経験していたことを、現在でも知っている、理解できると自分では思っているものの、実は、もはやそうした回路が無くなっていることです――に陥ってしまうかも知れません。

 現場に飛び込み、ズボンの尻を汚して取材するためには、野良博士として生きていることが、プラスに作用しているようです。現実社会で働くことの大変さや、痛みが分かる同胞として」

 すでに次作の取材も進行中。生活は決して楽ではないが、それもまた武器にした異色の博士の研究意欲は旺盛である。

デイリー新潮編集部

2017年11月22日掲載

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