地上げの帝王と19歳少女の信じがたい純愛…「早坂太吉」最上恒産会長

国内週刊新潮 3000号記念別冊「黄金の昭和」探訪掲載

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“地上げの帝王”の栄光と凋落

 昭和61年(1986)10月、北海道・静内。サラブレッドのセリ市で、前代未聞の出来事が起きた。生産者が「6000万円以上なら……」とセリに出した当歳馬に、2億6500万円という法外な値がついたのだ。

「狂気の沙汰だ」と耳を疑う、ベテラン競馬記者の視線の先に、その男がいた。早坂太吉(当時50歳)、「最上恒産」という、新興不動産会社のオーナーだ。社員は、たった15人。

 この日、早坂の鞄の中から、4億7000万円の現金が消えた。馬主となってわずか2、3年で、持ち馬はおよそ300頭。牧場主が血統書を持ってくれば、馬の写真も見ずに何千万もポンと出す。競馬につぎ込むカネも、ケタ違いだった。札束をテーブルに積み上げ、100万、200万円単位で次から次に賭けていく。根っからのギャンブル好きで、韓国のカジノでは1億、2億円を平気で張る。自家用ジェットヘリを2台所有し、とりわけ自慢は特注のベンツのリムジン。ワインクーラーやレーザーディスクが装備されたそのリムジン、値段は1億3000万円。

 早坂のもとには、うなるほど金があった。

 この61年、最上恒産は5月期決算で、前年度の40倍という、186億3000万円の法人申告所得を記録。全国番付で一部上場企業の三井建設や長谷川工務店を上回り、第3位となった。「地上げ」による収益が、全国3位にまで最上恒産を押し上げたのだ。

 都庁の新宿移転が決まり、都心部で最も地価高騰が激しい、西新宿6丁目。同社は元手20億円で地上げし、470億円で転売、巨額の富を得た。地上げが始まった頃は一坪約500万円だった土地が、売却時には約7倍の3500万円に化けた。早坂は、西新宿の地上げで一気に名を馳せ、“地上げの帝王”と称された。

“帝王”が札束に物を言わせ、血眼になって我がものにしようとしたのは馬だけではない。女もだ。

 早坂の「金と女」を象徴するのが、「カマキリママ」の異名をもつ、銀座のクラブママ。58年、客として店に来た早坂が、8000万あったカマキリママの債務を肩代わりしたことに始まる。彼女は40代半ば、妖艶な女性だった。すぐに赤坂の彼女の自宅で同居、60年には早坂が世田谷に新築した豪邸に移り住む。最上恒産関係者によれば、彼女が手にした「早坂家に入る」際の“結納”は、13億円。内訳はこうだ。

「銀座のクラブ『モンシャトー』の買収に3億円、4軒の家に8億円、経営がうまくいっていない彼女のクラブへの回転資金が、2億円」

 自家用ジェットヘリで、競走馬の買い付けにしょっちゅう出かける早坂に同行し、ママは着物や宝石などを買い与えられた。彼女は著書で、「10カラットのダイヤモンドをもらった」と述べているが、推定価格にして数千万円、あるいは億の値がつくこともあるシロモノだったらしい。

 早坂の女への執着は、カマキリママに留まらない。全国各地に愛人を作り、子どもを2人、産ませている。当時、ママはマスコミに憤りを込めて語った。

「愛人が次々に増えて、群馬のH江、札幌のY美とH子。それに私の娘の同級生で、19歳のA子にまで手をつけたの」

 これが理由で、63年、ママは早坂邸を出た。

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