「渡哲也さん、一生お恨み申し上げます」 元幹部が明かす“石原プロは五輪前に解散”

芸能 週刊新潮 2017年4月27日号掲載

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■「石原プロ」解散へ クビを斬られた大幹部の告白(下)

「石原プロモーション」元常務・仲川幸夫氏(77)による告白の後編である。仲川氏が突然の“任期満了”を告げられた後に発表された新役員人事には、渡哲也(75)の名があった。これについて「僕の退任も渡さんが主導したに違いない」と、仲川氏は言う。渡との間で、ボタンはいつ、どこで掛け違ったのだろうか。

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仲川幸夫氏

 仲川氏が続ける。

「僕の退任劇は昨年11月12日、渡さんの自宅で、会社の今後について話したところから始まったと思います。実は、僕は毎月、渡さんを訪ね、会社の経営について報告していたのです。

 その日、渡さんは『もう役者としてはやっていけないな』などと弱気な面も見せる一方で、急に『俺が社長を辞めたとき、たしか仲川さんも辞めるって約束したよな』と言い出した。それに続けて、『仲川さんはいつまでやるのよ。会社をまき子さんに返して自由にやってもらえばいいんだから、俺たちが何かすることはないよ』と説き、『俺は石原プロを辞めるよ』と呟きました。僕は驚いて、必死に慰留しました。

『会社を畳みたい』と以前から公言していた渡さんは、僕に幕引きをさせたかったのかもしれない。渡さんは会社を自分の代で終え、資産をそっくりまき子さんに戻すのがよいと考えていますが、僕は、いずれにしても、なんらかの形で、石原プロの名を残したいと思っていた。この日、渡さんは『仲川とは考え方が違う』と感じたのでしょう。

 そんな矢先、僕は失言してしまった。年明けの1月31日、まき子さんがスポーツ紙の取材を受けるのに付き添った際、話を聞きながら小林専務の顔が浮かんだので、終了後、冗談めかしてまき子さんに『今度、僕を専務にどうでしょうか』と伺った。すると、『その件は待って。私の一存では決められないので』とまじめに答えたのです。

 僕としては軽い甘えのつもりだったとはいえ、『専務』と口走って、地雷を踏んだのではないかと思います。まき子さんと渡さんは、小林専務へのアレルギーから『専務』という言葉にとても敏感なのに、配慮が欠けていました。今考えると、まき子さんも渡さんも、『仲川は小林になりたいのか』と思ったのではないでしょうか。

 実を言えば、僕も小林さんに誘われて石原プロに入り、長くお世話になりました。周囲も、僕と小林さんは関係が深いと認識していたようです。実際、昨年10月30日、小林さんはお亡くなりになりましたが、専務を退任されたあとも、僕だけは小林さんと接触していました。いろいろ問題があっても、あれだけの人ですから何かをしてあげたくて、たとえば毎月、病院にも付き添っていた。それは、まき子さんも渡さんも承知していたのですが、おもしろくはなかったようです」

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