糸魚川大火、火元の「上海軒」は醤油ラーメンで大繁盛だった

社会週刊新潮 2017年1月12日号掲載

 有名人の炎上騒動ばかりが取り沙汰された2016年――。奇しくも、その年の瀬に文字通りの「大炎上」に見舞われたのは新潟・糸魚川の商店街である。近年稀に見る「大火」は、消し止められるまでに30時間を要し、実に150棟を焼き払った。その火元となったのは、地元では誰もが知る大繁盛店だった。

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 火災発生から数日が経過しても、現場は煤に塗れた真っ黒なガレキで埋め尽くされていた。焼け出された住民によれば、

焦土と化した街並み

「あの日は“空襲”のようにあちこちで火の手が上がった。ようやく鎮火したと思ったら戦後の焼け野原のような有り様ですよ……」

 12月22日の午前10時半ごろ、JR糸魚川駅にほど近い中華料理店「上海軒」から黒煙が立ち上った。

 これが、幕張メッセの総面積に相当する7万5000平方メートルが焦土と化した「大火」の発端である。

 飲食店従業員の目撃談。

「すぐに消防車が到着したものの、換気ダクトから炎が噴き出し、屋根の上には大きな火柱が立って全く手が付けられない状態でした。上海軒の“店主”は全身を水や煤でドロドロに汚しながら立ち尽くしていた」

 この中国籍の店主(72)が、鍋に火をつけたまま近所にある自宅へ戻ったことが出火の原因だった。

 店主の甥っ子によると、

「火災後は妻子と一緒に、うちに身を寄せていました。伯父さんは憔悴し切った様子で、“もう死んでお詫びするしかない”と繰り返すだけ。早まったことをしないように親族が24時間態勢で監視していたんです」

 火災から5日後、店主は「謝罪文」を新聞各紙に折り込み、1万6000世帯に配布した。それでも、

「市が開いた住民向け相談会では、“火元の店主を呼んで土下座させろ!”という声も上がった」(先の住民)

 火災保険に入っていない高齢者も多いため、不注意による失火が非難されるのは当然だろう。だが、意外にも、店主に同情的な声も少なくないのだ。

■長野から通うファンも

「店主」の謝罪文

 町の古老が振り返る。

「上海軒は中国から渡ってきた、今の店主の親父さんが始めたんです。創業した約60年前は糸魚川に国鉄の機関区があって、昼休みになると職員があの店に雪崩れ込んだものです。代替わりしてから30年ほど経ちますが、客足が途切れることはなかった」

 近所の商店主が言葉を継ぐには、

「店の売りは1杯550円の中華そば。先代の頃から変わらない、昔ながらの醤油ラーメンで、魚介系の出汁がきいたスープがクセになる。上越や富山どころか、長野から足を運ぶファンもいたし、お盆や年末になれば帰省客が行列を作るほど。かくいう私も週に4、5回は通っていました。こんな時に不謹慎だけど、あのラーメンが食べられなくなるのはさみしい」

 商売が繁盛していたのも事実のようで、

「1日平均で100食は出ていたから、月に100万円以上の売り上げがあったと思う。ご主人が厨房で奥さんは接客、息子さんが麺を打つという家族経営なので人件費も掛からない。去年の秋口には自宅隣の空き家も買い取った。ただ、蓄えがあったかは疑問です。仕事が終わると夫婦でタクシーに乗ってパチンコに通うのが日課だったからね」

 無論、補償問題に発展すれば、店の再建など夢のまた夢。地元に愛された「醤油ラーメン」も、災禍の果てに失われようとしている。

ワイド特集「年を跨いだ無理難題」より