夏目三久、堺雅人、タモリが所属…「芸能界のドン」研究 裏カジノ出入りの声も

エンタメ週刊新潮 2016年9月8日号掲載

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 日刊スポーツが夏目三久(32)と有吉弘行(42)の交際を報じたのは、8月24日のことだった。しかし「ミヤネ屋」(日本テレビ系)その他の情報番組は2人の交際を取りあげず、また他のスポーツ紙は「事実無根」「事務所が否定」との立場をとった。これらは、夏目が所属する田辺エージェンシーの田邊昭知社長(77)の意向によるものだと、さる民放幹部は打ち明ける。「これほどの情報統制はジャニーズ事務所でもできない。でも、田邊さんはそれを易々とやってのけた」。アンニュイさで売った小林麻美の亭主にして、SMAP解散でも名が挙がった芸能界のドンの生態研究。

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満面の笑みの夏目三久

「日本の芸能関係で何かあると、テレビ局でも芸能プロでも、全ての物事を田邊さんにお伺いを立てて決めるというくらいの実力者」

 などと、40年来の腹心が持ち上げ、収入高24億円、うち営業利益6億円、年収3億円を誇る豪腕社長は、1938年11月、東京に生を享けた。レコード会社幹部はこう振り返る。

「田邊さんは日比谷の生まれで、『ブルー・コメッツ』井上大輔の実家と隣り合わせだった。とにかく、東京大空襲の話をよくしてね。あのころ彼が住んでいたのは、日比谷の日劇、いまの有楽町マリオンと線路を挟んだ新橋側の一角。一面が火の海になっていたときに、知らないおばさんに手を引かれながら、日比谷公園まで逃げたそうです」

 高千穂商大高時代からジャズドラムに親しみ、ホリプロの堀威夫ファウンダー(83)らとロカビリーバンドを結成。そして61年、他ならぬ「ザ・スパイダース」を率いてデビューを飾る。

 堺正章やかまやつひろしらを擁し、空前のGSブームの先駆者としてザ・タイガースと人気を二分するも、70年に引退。自身はスティックを置き、事務所経営というタクトを握ることになった。

 73年4月に田辺エージェンシーを設立。直後から研ナオコやタモリらを発掘し、一躍、ナベプロやホリプロなど一世を風靡する芸能プロに伍す存在となる。

特異な芸風だったこの人とも契約、今や立派な大御所司会者に

■「私の恥として受け止めています」

 酒は飲まないが、コーヒーで夜はとことん付き合う。多くの女優やモデルと浮名を流したものの独身を貫いてきたが、91年に世間を大いに驚かせる。齢52にして、女優で歌手、アンニュイな美しさが売りの小林麻美(当時37)と入籍したのだった。

「小林が田邊さんの事務所へ移って以来、17年の付き合いを実らせた。『公然の秘密』ではあったけど、長すぎた春でもあり、結婚はないと見る向きが大勢。歳の差15、そのうえ小林が2カ月前に男の子を出産していたのには口あんぐりでした。身長164センチの田邊さんは、“大柄なタイプの女が好きだ”と公言して憚らなかった。彼女は彼より少し背が高いんですよ」(芸能担当デスク)

 その折の会見で、所属タレントに“お手付き”したことを問われ、

「私の恥として受け止めています」

 とご当人は回答。今回の始末のひとくさりを見る限り、逆の行為、すなわち所属タレントに手を付けられることに鷹揚ではいられないようだ。

■日テレ役員らが謝罪

「とはいえ、田邊さんが力を持っているのは……」

 と、前出・レコード会社幹部が続けるのだ。

「古くて長いから。最初はマチャアキ(堺)くらいのものだったけど、そこにタモリが入ってきて、『笑っていいとも』が始まる。それを長くやっているうちに、テレビ局のみならず、芸能界での発言力や影響力が高まってきたということでしょう。それに、『スターの中のスター』は引退してもスターを生き続けている。それこそが力の源泉。若いころに見上げていた憧れを追い落とそうなんていう発想は、さすがにこの世界の重鎮にはありません」

「半沢直樹」「真田丸」に主演の堺雅人

 強(したた)かさや強面ぶりを物語るエピソードには事欠かないが、先の民放幹部は、

「所属の堺雅人が主演する『半沢直樹』が大ヒット。続編を作りたいTBSの足元を見ながら、その半年後に『あさチャン!』で夏目のメインを勝ち取った。それでも『半沢2』を認めないどころか、日テレと組んで堺主演ドラマをやりましたね。今年の秋には堺の大河撮影は終わりますが、ちょうど妻・菅野美穂のドラマが始まる。『半沢2』をやるのはほぼ決まった。でも放映は、来年後半から再来年まで持ち越しでしょう」

 とし、こう継ぐ。

「また、昨年末、日テレ幹部が明けて正月の挨拶日程を田邊さんと詰めていました。この幹部は、“近隣の芸能プロを回るついでに”というニュアンスのことをこぼしてしまい、“それなら二度と来なくていいよ”と社長の逆鱗に触れた。結局、役員らが正月早々に謝罪の意味も込めて出かけて行く羽目になったそうです」

■1億の架空の請求書

 続いて、1999年5月のこと。芸能界に絶大な権力を持つ「日本音楽事業者協会(音事協)」の会長ポストを巡っての話である。それまで会長だった田邊氏の後を襲う形で、「イザワオフィス」の井澤健社長が名乗りを上げた。

「田邊は当初、井澤の会長就任に反対していました。それでも周囲の説得を受け、渋々OKを出したんです」

 と、ある芸能プロ社長。晴れて翌6月に「井澤会長」が誕生するわけだが、

「その途端、“1億貸してくれ”と田邊が井澤に言ってきた。会長になっちゃったんだから取れるものは取ろうということ。“研ナオコのCM契約金で返す”と言ったそうだけど、井澤は返してもらわず仕舞い。もちろん、帳簿には載っていない類のお金だよ」(同)

 その1億円の原資とは何か。この社長は、自身と井澤社長とのあいだで交わされた架空取引ではないかと勘繰るのだ。

「あのころ、井澤の会社は儲かっていた。だからその分、税金を取られる。逆に俺の会社は赤字でカツカツだから税金はかからない。それで、“請求書を寄越せ”と言われ、ウチからイザワオフィスの関連会社宛てに、1億6500万円ぐらいの架空の請求書を出したんです。ウチは何もしていないし、請求したお金も振りこまれていません」

 むろんカネに色はついていない。だから、田邊社長は受け取った1億円の出所に思いを馳せることはなかったはずだ。1億円の貸出理由を井澤氏ご当人に質すと、

「なっ……! してねえよ。会社からも個人的にもやっていない。裏帳簿なんてありえないじゃん」

 そうやって撥ね付けるのだった。ともあれ、最後にドンの趣味について。紹介欄には表向き、「ゴルフ」と記されているが、実はギャンブル好きであり、なかでもバカラには「狂」がつくほど耽溺している。

「ラスベガスにはよく出かけていますが、我慢できず都内の裏カジノに出入りしているんです」

 と明かすのは、芸能関係者。

「周辺はその行動に神経をすり減らしています。よしんば、社長が緊張しながらカードをめくったりしているときに隠し撮りされて、当局が踏み込んで来たら……。最悪のケースを考えてあれこれと忠告するんですが、どこ吹く風なんですよ」

特集「『有吉弘行』も青ざめる『芸能界ドン』の豪腕 『夏目三久』交際報道は『小林麻美』ご亭主がひねり潰した!」より