「死刑囚の告白」殺人 大組織・警視庁の捜査放棄は批判しなかった大新聞のジャーナリズム

社会 週刊新潮 2016年5月5・12日ゴールデンウイーク特大号掲載

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権力の宣伝役

 ちなみに本件に似たケースが2005年にもあった。死刑判決を受け、最高裁に上告中の元暴力団組長が、警察も知らなかった殺人を告白する上申書を茨城県警に送った事件である。この時、県警は愚直に捜査を積み重ね、上申書受理から1年3カ月後、ようやく殺人容疑での立件にこぎ着けた。関係者を逮捕し、刑事部長が会見に臨んだ。しかし、その日、彼らを待ち受けていた報道は、予想に反し、厳しい指弾の集中砲火だった。

「なぜ当時、事件と見抜けず、司法解剖すら行わなかったのか」「捜査に問題はなかったのか」

 彼らには気の毒ではあったが、しかしこの追及こそがジャーナリズムの本分であり、大新聞が喧伝するところの公権力の監視ではあるまいか。捜査当局にとって、失敗を教訓とし、今後の発展に活かすためには必要な試練と言えよう。

 今回の新聞、テレビ報道にはこの視点や意識が決定的に欠如している。よもや、茨城県警には厳格な態度で臨めても、全国一の大警察組織、警視庁を向こうに回すのは憚られたとは思いたくないが……。権力の監視役どころか、宣伝役、引き立て役に成り下がっていると言うほかあるまい。

 ともあれ、地中に埋められた遺体はもう一体、残されている。結城氏の証言が正確だったことは伊勢原の捜索で証明済みだ。しかもその供述には、“秘密の暴露”も含まれていた。

「遺体を運ぶ最中、別の場所で慌てて、被害者が履いていた片方の履き物を落としてしまった」

「遺体は、穴の中に膝を立てて座らせるような形で入れ、埋めた」

 という遺体の状況とぴたり合致したのである。彼の協力のもと、次に捜索が控えるもう一件の事件では、できうるかぎり速やかに被害者の遺体が探し出されることを期待したい。さもなくば、今宵も死刑囚の夢枕には亡き男の怨霊が立つことになるだろう。

「特集 これで捜査機関? これで権力の監視役?『死刑囚の告白』を放置して自己批判しない『警視庁』と批判しない『大新聞』」より

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