「死刑囚の告白」殺人 大組織・警視庁の捜査放棄は批判しなかった大新聞のジャーナリズム

社会 週刊新潮 2016年5月5・12日ゴールデンウイーク特大号掲載

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言及すらない

「権力の監視、チェックこそがジャーナリズムの本来の使命であるということを改めて心に刻んでいます」

 これは、2010年、朝日新聞が「大阪地検特捜部の主任検事による押収資料改ざん事件」の記事で新聞協会賞を受賞した際、取材班の代表が授賞式で述べた言葉だ。大新聞はこの「権力の監視役」という言葉がお好きなようで、日頃から声高に吹聴している。例えば毎日新聞の伊藤芳明主筆も負けじと、同社の「開かれた新聞委員会」の座談会の内容を伝える記事(2015年10月15日付朝刊)の中で、こう総括している。

「新聞の重要な役割の一つは『権力の監視』であるとよく考えます。(中略)安保関連法は成立しましたが、これからも、政府の運用のチェックを続けなければなりません」

 翻って、今回の事件では、彼らはいかように警察権力を監視したのだろう。捜査放棄をどう捉え、批判したのか。その答えは「ゼロ」である。下手をすれば、権力に握り潰される可能性もあった捜査の問題点については追及どころか、何ら言及すらないのである。

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