【独占手記】「大相撲野球賭博事件」首謀者が激白! 全ては野球賭博の常習大関「豪栄道」の負け金400万円から始まった!――古市満朝

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■クビになるべき

 事件が発覚した時、お相撲さんたちは「賭けたのは微々たるお金。依存性はない」と主張していましたが、俺は「何を言うてんの、君たち」と言いたい。野球賭博をやった時点で、依存性はたっぷりある。野球賭博っていうのは、怖いんですよ。例えば、今、手元に金がなくても、胴元を知っていれば、「巨人に100万」といけるんです。それで負けたら100万円払わなあかんけど、勝ったら手数料を1割抜かれて、90万円の金がバッとくる。だからみんなはまる。

 琴光喜の張り方に驚いたこともあった。琴光喜と電話でやり取りしていた床池に「今、高校野球の試合やろ。琴光喜、なんぼ張ってん?」て聞いたら、「300万きた」と言うんです。ビックリしましたね。こいつ、高校野球の試合にも本気になっとるんかって。俺らと全然感覚が違うなと思った。現役のヤクザでも高校野球に何百万も張るなんてことないですよ。

 ヤクザと言えば、当時、新聞やテレビでは俺がヤクザを使って琴光喜を脅した、とさんざん報じられたけど、この事件の構図はそんなに単純なものではないんです。

 この事件は、発覚する前年の夏頃、琴光喜が胴元の梓弓に野球賭博の勝ち金500万円を請求したことがそもそもの始まり。が、実はさらにその根っこの部分には、今も大関として活躍している豪栄道の野球賭博の負け金400万円があったのです。発端というか。

 琴光喜が梓弓に500万円を請求する少し前、俺は豪栄道の負け金400万円と自分の負け金200万円の計600万円を梓弓に支払っているんです。つまり、梓弓は、琴光喜に金を支払おうと思えば支払えた。しかし嘘をついて支払わなかった。それで問題がこじれにこじれたのです。

 ちなみに、豪栄道はたった1日で400万円の負けを出した。プロ野球の試合が1日最大で6試合あって、全試合に張っていたとしても、相当な金額を賭けないとそんな多額の負けにはならない。俺が何を言いたいかというと、豪栄道も、超のつく野球賭博常習者だったということ。琴光喜や貴闘力と同等以上のことをやっとったわけですから、本来、彼らと一緒に矢面に立たなあかんかったし、クビになるべきやった。そんな男が今、大関の地位にいるのはおかしな話です。

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 事件当時、豪栄道は野球賭博に関与していたことを相撲協会に申告、けん責処分を受けた。が、彼が1日で400万円も負けるような「常習者」だったことは事件当時から今に至るまで、一切報じられたことはない。

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 豪栄道がいかに野球賭博にハマッていたかについては後で詳しく話しますが、とにかく、事件の根っこの部分には、豪栄道の負け金400万円の支払いを含む、俺と梓弓の金のやり取りがあった。確かに俺はこの件で山口組系のヤクザに頼ったけど、梓弓の側にも別のヤクザがついとった。さらに、貴闘力が別のヤクザの名前を出したりしてぐちゃぐちゃになっとったんです。

 事件が発覚する前の年の年末から梓弓とは連絡がとれなくなっており、梓弓側のヤクザと最後に直接会って交渉したのは、「週刊新潮」に記事が掲載される約2カ月前。10年3月、大阪場所の最中でした。その頃、梓弓側のヤクザは「梓弓が相撲取りから支払ってもらっていない金が1億円くらいある。それが支払えない場合、梓弓は知り合いの週刊誌や警察に相談する」と圧力をかけてきていて、その交渉を岸和田のデニーズでやった。

 こちら側は俺と、俺の知り合いの山口組系のヤクザと、床池。話し合いの最中、床池の携帯に琴光喜や貴闘力からしょっちゅう電話がかかってくる。「話、どうなってる?」と。で、最終的には貴闘力が「直接会って話を聞きたい」と言い出したので、大阪市内に戻り、都ホテル近くの路上で接触することになった。

 そこで、貴闘力は俺の知り合いのヤクザにいきなり、「あんたどこの人?」と聞いてきた。ヤクザが驚いて、「カタギの人にいきなり組織名を言えないですよ」と言うと、貴闘力は「俺はお前らからみたら雲の上のような存在の人間を知ってるぞ」と、ある組長の名前を出したのです。俺は呆れて、「何言ってるんですか。親方、カタギでしょ」と言ったんですが、貴闘力は終始偉そうに喋っていました。

 貴闘力とはその数日後、ミナミのスイスホテルで一緒にメシ食ったんですが、その時もワケのわからん行動に出た。いきなり貴乃花親方に電話して、「ああ、親方ですか。今、古市と一緒です」って。俺と貴乃花親方は同期入門ですが、しばらく会っていなかったので、俺が電話に出ると、「久しぶり」と言っていました。それから、野球賭博を巡るトラブルに、元大関の千代大海が首をつっこんできていることについて、なぜか「ごめんね。俺からも大海に言っとくから」と謝っていました。

 今でもなぜあの時、貴乃花親方に電話したのかよく分かりませんが、その貴闘力は「週刊新潮」の記事が出てからは焦ってね。何度も俺のところに「どうしたらいい」と電話をしてきました。俺は「ホンマのこと言うしかないんじゃないですか」と突っぱねて、1カ月後に出頭しましたけどね。

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