お風呂場から寝室まで「明治天皇」と「昭和天皇」の私生活比較――米窪明美(学習院女子中・高等科非常勤講師)

国内 社会 2016年01月03日

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■女官たちがキャッキャッ

 一方、明治天皇の生涯を通じてのお楽しみは、学者肌の昭和天皇とは対照的に酒を呑むことだった。若い頃の天皇は毎晩のように遅くまで臣下と酒を酌み交わし、度を越して側近に抱えられながら還御(かんぎょ)(帰宅の意)されることも、一度や二度ではなかった。側近たちの多くがついこの間まで地方の中・下級武士だったので、酒席の話題も洗練されているとは言い難い。

 薩摩藩出身で後に内閣総理大臣となった黒田清隆は、酒乱との噂のある人物だったが、天皇皇后の御前でも大虎ぶりを発揮している。皇太子(後の大正天皇)の御立儲(りっちょ)(皇太子を立てる所謂立太子)の御内宴で嬉しさのあまり泥酔した黒田は、旧幕臣の榎本武揚を指さし、「陛下、この席に賊がおります」と言い出した。その後も「賊がおる」を連発し、危うく一触即発の事態となったという。

 黒田の悪酔いにも呆れるが、とぐろを巻く黒田を放置して宴会は続いたというから驚かされる。恐れ多くも臣下のほうが先に酔い潰れることはよくあり、皆さして気にしなかったのだ。

 また、天皇はあだ名をつける名人で、美子皇后のことは「天狗さん」とお呼びになっていた。これは皇后の鼻筋が通っていることに由来するものだが、3歳年上のしっかり者の姉さん女房に対する、そこはかとない畏敬の念が感じられる。

 盃を重ねるごとに陽気になった天皇はすっかりご機嫌になり、何か面白いことを思いつかれては傍らの皇后を振り返り、「な、天狗さん」「な、天狗さん」と話しかける。その都度、部屋には皇后や女官たちの笑いさざめく声が広がっていた。そして、電気を嫌い、ベルギー製の蝋燭(ろうそく)を愛用されていた天皇は、灯りを点けたり消したりしては女官たちを困らせ、キャッキャッと大騒ぎになることもあった。厳しい風貌の写真からは想像しにくいが、明治天皇はお茶目な人物で、その周囲には陽気で楽天的な人々が自然と集まった。明治宮廷には、まるで体育会のような雰囲気が漂っていた。

 ちなみに昭和天皇は酒が全く呑めない。宮中饗宴の席では煮冷水(ゆざまし)を用意させ、あたかも酒を口にしているように振る舞い、相手に気を遣わせないよう工夫されていたほどだ――。

 元号が一世一元制となった現在、天皇は国家の時計であり国家を映す鏡である。

 明治天皇は陽気で冗談がお好きで、臣下と酒を酌み交わすのを何よりの楽しみにされていた。そんな天皇が治めた日本は西洋列強の脅威に晒されながらも国家の独立を守り、世界の一等国を目指してひたすらに前へ前へと歩んでゆく。

 その後日本は国際的な孤立、敗戦、占領と荒波をくぐり抜け、経済大国へ駆け上がっていく。それを可能にしたのは勤勉な国民性であり、病床にあっても学者肌で生真面目な昭和天皇こそがあの時代の天皇としてふさわしかったと言えよう。

 今までの天皇と国民がそうであったように、天皇陛下と私たちもまた平成という時間で結ばれている。

 12月23日、天皇陛下は満82歳のお誕生日をお迎えになった。年が明ければ皇室ご一家のご近影が公開され、講書始の儀、歌会始の儀など伝統的な宮中儀式をニュースで目にする機会も多い。

 これまで見てきたように明治と昭和で違いがあったとはいえ、例えば天皇が決して食べ物の好き嫌いを口にされず、大膳(調理係)は下がってきたお皿を確認して好みを推し測っていたように、貫かれてきた「天皇像」というものもある。

 天皇陛下のお姿を通じて見えてくる明治、大正、昭和に続く平成の時代は、果たして我々に何を突き付けているのだろうか。

米窪明美(よねくぼ・あけみ)
1964年東京都生まれ。学習院女子中・高等科の非常勤講師として作法を教えている。近代宮廷の研究を続け、『明治天皇の一日』(新潮新書)などの著書がある。近刊は12月18日に発売された『天皇陛下の私生活―1945年の昭和天皇』。

週刊新潮 2015年12月31日・2016年1月7日新年特大号掲載

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