元植民地が日本びいきなワケ 「あの頃はモラルがあった……」

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■貨幣経済をもたらした

 前回の記事では、『日本を愛した植民地』(荒井利子・著)をもとに戦前、日本の委任統治領だったパラオの人たちが、戦後も日本に好意を持ってくれていることをお伝えした。

 なぜ彼らは今でも日本時代を懐かしむのか。同書では数多くの島民の生の声を紹介している(以下、引用は『日本を愛した植民地』より)

 たとえば1925年生まれのパラオ人、フジオさん(仮名)はこう語っている。

「日本時代が良かったっていうのは、まあ金もあったし、自由で、品物はたくさんありましたから。何でも出来たっていうのがいいところでしょうか」

 実はパラオに貨幣経済をもたらしたのも日本。島民たちは初めて手にした現金を持って、デパートやお店に買い物に行き、珍しい日本の商品を買うのが楽しみだったという。

 差別がなかったわけではない。島民は飲酒を禁じられていた。

 それでも生活の満足度は高かったようだ。

「お前は日本人だと言われ、日本人、日本人という教育を受けていました。お酒を飲めないのは差別と感じていたけど、それ以外で差別と感じるようなことはありませんでした。

 日本人の奥さんたちも、自分の子どもと同じように扱ってくれました。

 シンガポールが落ちたというと、パラオ人も日本人も一緒に提灯行列しました。今でも(自分のことを)日本人と思っているパラオ人もいます」

■アメリカ人の先入観

 ここで疑問を持つ人もいることだろう。

 日本時代が良かったとしても、戦後、解放されてアメリカの支配下に置かれてからのほうがもっと良いはずではないか、と。

 実際に、島民も、

「ドイツ時代から日本時代になって生活レベルが上がった。また新しい時代になれば、もっと良い時代になるに違いない」

 と当初は考えていたようだ。

 ところが、話はそう簡単ではなかった。

 アメリカは日本統治時代のミクロネシアを知らなかったため、島が経済的に栄えていたことなど知らなかった。戦後、アメリカ人が見たパラオの人たちは疎開先から戻ってきたばかりだったので、ボロボロの衣服をまとい、体中が汚れた姿だった。それを見たアメリカ人は、それがパラオ人の真の姿だと思い込んでしまったのだ。

 そのため、アメリカ人は勝手に「パラオ人には原始的な生活をさせておけばいい」と考えたのである。その後、誤解は解けたのだが、それでもなお島民がアメリカ時代を高く評価しない理由があるのだという。

■自由を嘆く老人たち

 それは皮肉にも彼らがもたらした「自由」の弊害だった。

 アメリカはドイツや日本とは異なり、島民に指図をせず「自由」を与えた。しかし、多くのパラオの人々にとって「自由」とは聞いたことのない言葉だったため、混乱が生じてしまう。

 日本人の父親を持つトミオさん(仮名)の話。

「戦争が終わって、アメリカが来て、だいぶ違った生活になりました。アメリカ人は日本人と違って、『おまえたち、あれやれ、これやれ』っていっさい言わないで、『おまえたち、自分でやれー、好きなようにやれー』って。

 だからそこで私たちは初めて自由って何なのかアメリカ人から学びました。その自由とは、何でもしたい放題、好き勝手にやっても良いことだと受け止められた」

 当初、「自由」を謳歌していたのだが、島民たちは「自由が間違って理解された」ことを悔いている。酋長の言うことも聞かれなくなり、秩序が壊れてしまったのだ。

 パラオ人女性の話。

「日本時代は子どもが結婚しないで生まれたら、みんなから白い眼で見られたものなのに、今は結婚しなくても平気で子どもを産む。私生児はたくさんいます。今の若い人は自由になったのだから、何をしてもいいと言って、年寄の言うことなんか聞きません」

 別のパラオ人女性の話。

「アメリカは自由すぎる。学校で乱暴しても喧嘩しても、先生は殴らない。日本の学校では先生に殴られたけど、良いことと悪いことを教えてくれた。今の子どもたちに怒ると、『今と昔は違う』と言われる。殴られたからこそ、私たちは学ぶこともできた」

 お気づきのように、彼らの語る「日本」は、現在の「日本」ではない。おそらく彼らが今の日本の実情を見たら、驚き、また悲しむのかもしれない。しかしそうした「美しい誤解」もあって、今でもパラオの人たちは日本に好意を持ってくれているのだろう。『日本を愛した植民地』は、国が国を統治するという行為について新しい視点を与えてくれる力作である。

デイリー新潮編集部

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